親日学者で台湾出身の黄文雄(こうぶんゆう)が 中国人の食人文化は四千年の歴史を貫く伝統」であると主張しています。また、孔子が人肉好きだったとして、次のように主張しています。孔子の弟子であった子路は 衛国の父子王位争いのお家騒動にまきこまれて殺されたそうです。子路の屍は細かく切りきざまれ塩漬けにされ、使者によって孔子の食卓にまで届けられました。以来、孔子は大好物の人肉の塩漬けを食べるのをやめたそうです。これは『礼記』、『東周列国志』、『荘子』にも記されていということです。現在でもインターネット上に 中国の人食い人種らの「人肉屠殺」シーンが流されているようだが当局は知らないのだろうか。
中国人はジコチュー(自己中心)が国民性だ。それが国家に拡大され、自国中心主義になっている。 自分が世界の中心、文化の中心であるという強い思いこみだ。中国人は古来、近隣国を蔑視してきた。文化の違う人々を人間と見ないほどまでに蔑視感が強い。華人以外はみな動物(けだもの)として扱った。その証拠に民族名称には獣へんや虫へんのついた漢字を用いて書いた。また魯迅(日本に留学したことのある中国の文学者)は「中国人は人間を人間とも思わない」と、中国人の国民性を批判している。
中国はジコチュー(自己中心)が普遍化され他人の都合や思惑は二の次、三の次というより、最初から考慮されていない。政治の流れを見ても、1950年代、「向蘇一辺倒」などといわれ、ソ連と蜜月の関係を結んでいたにもかかわらず、1960年に入って突然「ソ連修正主義反対」、「ソ連社会帝国主義打倒」のスローガンを掲げて豹変した。
1960年代、日米安保、アメリカ帝国主義反対を唱え、旧日本社会党と共同声明まで出したが1970年代に入るやある日突然、日米安保賛成、反ソ親米に急変した。 このとき 日本の旧社会党員は肩すかしを食らった。中国人は、原則(建前)と本音を実にうまく使い分ける。日本人は全くこの点を読むことができず、相手の意に添うことが上手なので 理想的な友好カップルになれるはずである。しかし、日本人が中国人についていければの話である。中国では、法はあっても自分の都合で利用したり、無視したりするのが通常である。したがって、「朝令暮改」、契約反故」などが頻繁に起こり、たいていの日本人は中国人の独断にふりまわされ、最後にはノイローゼになってしまう人までいる。
朝令暮改・・・方針などが絶えず変わって定まらないこと。公明党や民主党と似ている。コロコロ変わる。
仏教と儒教は中国から朝鮮を経由して日本に伝えられた。宗教が同じだから、精神文化も共有しているように思えるが、根本となる死生観がまったく異なっている。日本人は「死んだら神様」「死者悉皆成仏」といって、死後にまで生前の利害や怨恨を問わない心を持っている。だが、中国人は 自分の敵は死後もその墓を暴き、屍にむち打ち、魂まで食らおうとする。人は死しても安らかに眠ることができないのである。
よって日本の総理大臣の靖国神社参拝にまで政治的に干渉してくる。中国の内政干渉は靖国問題にとどまらず、歴史教科書、政府高官の発言、南京事件の評価、日米安保、憲法改正論議、ダライ・ラマや李登輝前台湾総統の訪日、航空会社の空港使用、ホテルでの国旗掲揚など、ありとあらゆることに干渉し、外交問題にしようとする。
中国は日本のテレビ二ュースの内容にも圧力や抗議を加えてきて公開謝罪させられたケースが何度もあった。 中国の独善的な思惑の押しつけは、日本に対してだけではない。旧西ドイツやデンマークなどでチベットの人権侵害問題をとりあげる議会に圧力をかけ、決議をしたら報復すると恫喝したりした。また中国の政治家江沢民は かつてスイスでデモ隊に遭遇したとき、スイスの首相に対し「自国の管理もできないのか」などと著しく礼を失する発言をしたことがある。
アメリカに対しでも同様の干渉を加える。台湾が李登輝総統のとき、卒業したコーネル大学の訪問のために訪米を申し入れたことがあった。アメリカの上下両院が李氏の訪米を受け入れる決定をしたにもかかわらず、中国はこの決議に関しても「誤った決議」だとして反省を求めたのである。アメリカは議会制民主主義であり、議会は民意を代表し、議会の決定は大統領といえども無視することはできないことが江沢民にはわかっていない。アメリカ議会に対する反省要求は、中華思想の露骨な表現であった。日本ならばすぐに反省し謝罪してしまうだろうが、アメリカは相手にしなかつた。
「悪いのは全部他人で、成果は全部自分のおかげ」という独善意識が中華思想の真骨頂である。私(黄文雄=こうぶんゆう)は台湾で生まれ育ったが、小中学校時代に、近代中国が貧困・落後したのは列強の侵略と清朝の腐敗、軍閥内戦に原因があると教えられた。中華人民共和国では、それがすっかり国民党政府の責任にされている。
また、文革が終焉すると、「動乱の十年」の責任は全部四人組のせいにされた。毛沢東の過ちに触れられることは決してなく、あれほどの社会的混乱の責任をすべて四人の政治指導者に押しつけたのは、裏返せば、中国人の破廉恥な無責任意識のなせるわざである。
文化大革命四人組・・・江青、張春橋、姚文元、王洪文ら
4人の政治局員。プロレタリア独裁・文化革命を隠れ蓑にして極端な政策を実行、反対派を徹底的に弾圧、毛沢東の死後失脚、特別法廷で死刑や終身刑などの判決を受けた。
改革開放になると、急激な経済開放のために強盗殺人、賭博、麻薬密売、買売春、人身売買、詐欺、迷信など、「六害」「七害」と呼ばれる凶悪犯罪が横行するようになった。こうした無秩序は中国本来の姿であり、百年変わらぬ国民性の復活にすぎない。ところが中国はそれを認めず、資本主義の精神汚染だと決めつけ、今度は「社会主義新文明を創造せよ」と呼びかけ、党大会のたびに決議などしている。
西欧文明が東アジアに大きな影響をおよぼしたのちの中国人の不幸、落後はすっかり西欧のせいにされてしまったのである。自己の無謬性の過信によって独善的となり、ことに日本人のような自虐的な国民に対しては、反省や謝罪を要求することをやめようとしない。
李卓吾は、著書『蔵書』で、中国人についてこう指摘している。「いかに自己礼賛するかについては苦心惨憺するが、自己批判についてはまったく関心を持たない」と。最近、中国駐在の日本人商社関係者が中国人気質を調査して、中国人像を以下のようにまとめている。「絶対自分の非を認めない。それは中国人が責任感の意味を知らないというよりも、失敗を他人のせいにする習性があるからだ。もともと、中国は熾烈な競争社会であり、責任をとる段になったら、なるべく自分の身にふりかからないようにしなければ生き残れないからだ」
中国人は国家を信用していない。社会も人間も信用していない。妻さえ住用しないのは、もともと他人だからとしても、血のつながった親子や兄弟でさえ信用できないのである。毛沢東の極左政策で「父母よりも毛主席が親しい」という言葉が流行り、家族まで階級の敵と目され、子が父を告発することも頻発した。劉少奇や林彪は、政敵ではなく我が子に密告され、一人は獄死し、一人は逃亡する途中で死亡したのである。中国のことわざに「一人で廟に入るな、二人で井戸をのぞくな」というものがある。一人で廟に入ると、悪い坊主のカモにされ、殺されて金品を奪われてしまうかもしれない。二人で井戸をのぞくと、相棒に突き落とされる危険があるという意味である。
この人間不信社会で競争に勝つために兵法が発達した。孫子は「兵は脆道なり」と言った。つまり戦争は詐欺の道だというわけである。中国人気質の最大の特色も「詐=うそ」にある。中国人は「詐の民」だという人もいる。親は子に対して「人にだまされるな」と教育し、常日頃口うるさく教えている。
戦後、日本人は中国人の詐欺ぶりを目の当たりにして驚愕した。偽の残留孤児、偽の難民、偽装結婚、偽造パスポート、闇銀行、偽造卒業証書、偽造プリペイドカードなど等。自分の利益のためにはどんな物でも平気で偽造する、どれをとってとも日本人の想像を絶するものばかりだ。世界中で今大きな問題になっているのは、中国の偽ブランド品である。
知的所有権の盗用は別としても、薬、タバコ、酒、食品など、人が健康を害したり、悪くすれば命を落としたりしてもおかまいなしにコピーをつくってしまう。中国政府は「打仮運動」と称して偽ブランドの追放キャンペーンを行っているが効果はまったくない。
現在の中国は、公金横領、賄賂横行、汚職天下の国であり、偽物天国である。今日も中国のどこかで偽プランド品が製造され、世界にばらまかれている。嘘で塗り固められた人間不信の中で、中国人は上から下まで騙し合っている。政府はマスコミを通じて民衆を騙し、民衆は面従腹背で良民を装いながら国家を食い物にする。中国人社会で詐欺師が暗躍し、偽物が氾濫するのは当然なのだ。
土匪=その土地に住みついて害をなす集団。
数年来の日本における中国人犯罪の急増は今や常識といえる。実際、外国人犯罪者の半数以上が中国人で、新手のピッキング強盗のほとんどが中国人の手によるものである。石原慎太郎都知事も、この類例を見ない凶悪犯罪を新聞で指摘している。ある自衛隊関係者は、警察署に収容された中国人に提供する食事の一食分の経費が、自衛官のそれよりも高いことをぼやく有様だ。
日本ばかりではない。世界の多くの大都市が中国人密入国者の問題に悩まされている。
シベリアヘの中国人密入国者は年間五十万人にのぼるという信じがたい数字も出ている。蛇頭の年間総収入は世界の麻薬密売の収入の数字をとうに超えている。
中国人が海外流出すると、流出した先で社会が大きく変化する。台湾の生活環境の変化は、その代表的な一例である。
台湾は戦時中、疎開して家を離れても物が盗まれることがなかった。しかし、戦後、40万の日本人が台湾から追放され、代わりに200万の中国人が大陸から流入すると、台湾はたちまち泥棒の国と化した。泥棒の多さは高層ピルの上階でも窓に鉄格子がはまっていることが如実に物語っている。あの特異な建築群の景観は、泥棒のせいなのである。台湾では「中国人を見たら泥棒と思え」という教育を親がするようになった。
1994年、中国の浙江省杭州の千島湖で、台湾入観光客24人を乗せた遊覧船が強盗にあい、全員が船室で焼き殺された事件があった。当時の中国政府はこの痛ましい事件が強盗殺人事件であったことをひた隠しにしていた。李登輝総統は激怒し、中国を「土匪国家」だと非難した。中国が「土匪国家」であることは、歴史的にも知られている。清代の乾隆帝時代、英国の通商使マカートニーは、『奉使記』の中で沿道には乞食と盗賊ばかり目立つと記している。
中華民国初期は、「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」と言われるほどで、賊の数は推定二千万人、軍隊より多かった。その当時、上海や満州の各都市では公共パスに武装兵士が最低二人同乗していた。そうでなければ安全が確保できないのである。現在でもいたるところで「車匪路覇」に注意を呼びかける看板がかけられ、改革開放後の中国を特色づけている。1990年代、匪賊との銃撃戦で殉職した警官は毎年二千人あまりにものぼる。
なぜそれほど匪賊が多いのか。
結論を言えばそれが伝統文化なのである。「天下は馬上で取る」「勝てば官軍、負ければ賊軍」という歴史の法則に基づき、王朝末期には生活手段を失った民が賊に変身し、やがて易姓革命の原動力となった。易姓革命は、盗賊を正当化する中国の歴史の原理といえる。チペットや台湾に対しても、この強奪行為を正当化し、周辺諸国との領土をめぐる紛争は絶えない。増え続ける密入国者によって中国人犯罪が世界に広がり、かつて白人に恐れられた黄禍が華禍となって、ますます嫌中感情が増幅されることだろう。
「親善」「友好」という言葉は、本来嫌われるはずがない。だが、中国人との「友好」だけは別である。
新聞やテレビなどのマスコミは、米、英、仏、独と日本との大人のつきあいには普通「親善」という言葉を用い、「友好」というキャッチフレーズを使うことはあまり見られない。
だが、中国に関するかぎり、なぜか「友好」という言葉が使われ、日中交流の専門用語のようになっている。戦前、戦後を通して、日本と中国は「友好」と「非友好」に二分されていた。一時、中国との関係はもっぱら「友好人士」や「友好商社」という、中国からお墨付きをもらった一部の日本人に独占されていた。
1972年に日中国交正常化がなると、日中間の交流は「友好人士」の独壇場でなくなり、やがて「子々孫々にいたるまで」という形容がつけられて「友好」が強調されるようになった。
普段、人間不信の社会で生きているので、中国人は人間関係についてことさら「友好」を強調しないと不安に襲われる。しかし、中国が強調する「友好」ほど不安なものはない。なぜか。その理由は「友好」の解釈権がもっぱら中国側にあり、中国の規定する「友好」におとなしくついていかなければならないからだ。
ことに「したたかさ」をあまり持ち合わせていない日本人は、腹芸が下手でタヌキとキツネの化かし合いができない。しかも日本人は外圧に弱く、中国流の「友好」パフォーマンスに対抗するのがきわめて下手である。
「友好」という言葉を額面どおり受け取っていると、思わぬ落とし穴にはまることになる。実は中国が「友好」を語るとき、ことに相思相愛を語るときが最も危険なのである。それは歴史を振り返ればわかる。
たとえば、中ソ、中印、中越戦争が起こったときは、いずれも両国の「友好」関係が蜜月のピークに達した時期にあたり、まさに老子のいう「物極まるときは必ず反(かえ)る」という結果になった。
だいたい人間の歴史で、民族間、国家間に「子々孫々の友好」などあったためしがない。中国との「友好」は、彼らの独善的な価値観を全面的に受け入れることでしかない。
日本人は 中国が畳み掛けてくる「友好」に翻弄され、身も心もくたくたになってしまう。そして考えれば考えるほど嫌悪感を越えて怒りがこみあげ、やがて「日中友好」の滑稽さに気づくことであろう。
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