●Home 文化ファシズムと米同時テロ bV2〜110 2001/10/15〜12/6 エディター・ショップ/久本福子 110 12月6日 ●結び 最後に、なぜわたしが消されずにきたのかについて、一言説明しておきたいと思います。これまで「怪死」と思われる数々の例をあげてきましたが、唯一の告発者であり、最大の障害物であるわたしがなぜ消されずにいるのか、不可解に思われているかもしれません。 不可解といえば確かに不可解です。しかし、これまで命の危険を感じたことが皆無だったわけではありません。また、いつ消されても不思議ではないとの危機感はいつも感じていました。しかし、ネットを使った告発行為そのものにはさまざまな嫌がらせが執拗につづきましたが、命まではとられずに、ひとまず告発を終えることができました。 ネットでの公開告発が効を奏した結果だろうと思います。さらには生かして利用しようとの思惑もあったのだろうと思われます。連中の欲するものを、まとまった形ではまだ差し出していないからです。多分に買いかぶられている面もありそうで、迷惑この上もありません。一日も早く自由に仕事ができる機会を手に入れたいと、切に念じています。 しかし大作の権力は、多種多様な日本の国家財産を、ブラックホールのように呑み込んだ結果、築きあげられたものです。本来ならば告発すべき立場にある国会議員がなぜ、その権力に寄生しようとするのでしょう。大作の意向とあらば無批判、盲従の学会員に依拠して当選したならば、その議員は地方であれ、国会であれ、大作の顔色だけを伺うことになってしまいます。 新聞も同様です。大小各新聞社はなぜ、創価学会枠などと称する特別枠を設け、創価学会員を優先的に採用し、大作の権力拡大に手を貸すのでしょうか。今、野村沙知代さんの脱税摘発が進行中ですが、池田大作の脱税摘発も敢行すべきです。さらに創価学会の各種犯罪を立件し、解散命令を出すべきです。 創価学会が解散すれば、日本の政治はもとより、日本中が風通しよくなること請け合いです。日本の安全のため、世界の安全のため、創価学会は解散すべし。小泉首相の見識と責任も問われています。 なお、昨日、ネットの資料的価値はゼロに近いと書きましたが、ネット本来の特性を活かすならば、多層的な資料の宝庫になることはいまでもありません。ネットを活かすも殺すも、それを使う生身の人間の、見識と努力いかんだということです 下記の109に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 38 109 12月5日 パレスチナ過激派と文化犯罪者 イスラエルがパレスチナ自治政府をテロ支援体制と認定、パレスチナ自治区内への報復攻撃を開始しました。パレスチナ過激派による連続自爆テロ攻撃を受けたものですが、パレスチナ和平が一気に遠のいた感があります。パレスチナ過激派連続自爆テロは、盛り上がりかけた和平への機運を潰すことが目的であることは明白です。 イスラエルの報復攻撃はその挑発に乗せられたものというべきでしょうが、報復をせずとも過激派の攻撃は激化したのも事実です。米同時テロ後のパレスチナ過激派の動きを見ていると、和平への動きが出ると必ずテロ攻撃をしかけています。和平が成立すると過激派の出番がなくなるからでしょうが、パレスチナ問題が解決すると、イスラム過激派にとっては、そもそも中東におけるテロの大儀が消えてしまいます。 中東は、世界最大のテロリストの温床です。この温床を温存しようとする勢力が、パレスチナ過激派を利用し、和平潰しにやっきになているようです。アフガンもまた、いつこれらテロリストの標的になるやも知れぬという不安もぬぐえません。 ですから真にテロを根絶するためには、テロを支援している蔭の支援者をこそ攻撃すべきです。イスラエルがテロ支援者と認定したパレスチナ自治政府は、あくまでも表向きの支援者だろうと思います。自治政府を介して闘争資金を提供し、支援体制を構築している黒幕が別にいるはずです。自治政府にそんな余力などあるとは思えないからです。 ここにきて以前紹介した、橋本龍太郎氏の中東訪問での会見が気になり出しました。派閥決定によるキューバ、中東訪問時のことです。橋本氏はアラファト議長とは会見したらしく、議長が橋本氏との会見時に涙をうかべていたと語っていました。これもベタ記事の短いものでしたが、内容が内容だけに、強く印象に残っていました。 パレスチナは訪問したが、イスラエルには寄っていないらしいところに、この私的訪問の隠された狙いが露骨です。橋本氏のこの私的訪問の同派の派閥決定は、池田大作の意向によるものであることは、おそらく誰も否定はしないでしょう。 わたしがこれまで延々とレポートしてきましたように、創価学会=池田大作を頂点にした日本のファシズム集団が、イスラム過激派を支援し自爆テロにもひそかに関与していることは明白です。 文化人面した池田大作のイメージ戦略は、裏の犯罪者としての顔を覆い隠すためのものですが、海外ではかなり有効に作用しているようです。アメリカ創価大学の創設者という肩書きが相当の重みをもっているのでしょうが、大作が犯した犯罪の数々は、日本国内にとどまらず、海外にまで及んでいます。 創価学会の異様な肥大化を許した最大の罪は、まったく危機感の欠落した日本の政治家にあります。お蔭で大作は、難なく日本そのものの「総体革命」に成功。事実上創価帝国化しつつある日本を足場に、大作の世界制覇戦略はとどまることなく展開します。 長いレポートになりましたが、そろそろ終わりにしたいと思います。このレポートを書くに際しては、新聞が非常に貴重な資料になりました。わたしは新聞の偏向を厳しく批判してきましたが、事実を報道するという新聞の基本姿勢が、時間には侵食されない、資料的価値を保証していることに気づかされました。 ネット検索の即効性は便利の一語に尽きますが、資料的価値はほとんどゼロに近いというのが、両者を使い比べてみた結果の、正直な感想です。ネットの資料的価値の低さは、ネットでは、情報操作がいとも簡単だからです。ネット検索最大手ヤフージャパンの、情報操作の及ぼす悪影響は計り知れません。 日本のネット市場は、ヤフーに限らず、その主流が文化ファシズム集団の配下に置かれています。ヤフーの孫正義氏は、大阪でジャスダックを開設しました。これは、大作・西武との連携の結果です。大阪を拠点にして、日本の経済地図の塗り替えを狙ったものだったはずですが、思惑どおりには進んでいないようです。 しかしこの連携は今もなお有効らしく、情報操作は露骨です。例をあげれば切りも果てもありませんが、最近の例を一つあげると、エイズ裁判結審の日を確認しようとヤフー検索したところ、「エイズ裁判」で検索できたのは川田龍平氏のHPのみです。ここでは必要な情報が入手できず、リンクが張られていた川田えつ子氏のHPにアクセス。しかし公開されていた同氏の日誌には、裁判のあった時期だけがゴッソリ抜けていました。 日付は二フィティで調べましたが、では二フィティが公正かといえば、必ずしもそうとは断定できないところに、日本が直面している目下の危機の深さがあります。しかしネット検索だけではありません。ネット書店も同様です。ネット書店の最大手、bk1、アマゾンドットコムはともに取次は大阪屋です。大阪屋は在阪書店を中心にした取次ですが、事実上ネット書店を配下に収めています。出版流通はもとより、出版業界そのものが彼らの配下にありますので、個別にとりあげることはほとんど意味はありませんが、大阪屋のシェア拡大には、ジャスダック開設と同様の思惑が働いていたことは間違いないでしょう。 今さらいうまでもないことですが、一部特定集団の恣意的な市場操作は、市場の活性化を妨げるだけです。中でもネット検索や出版市場における恣意的な操作は、経済のみならず社会全体に甚大な影響を及ぼします。新聞も同様です。印刷がデジタル化された現在、新聞記事の書き換えもいとも簡単です。すべてが一丸となってファシズム化への道を走り始めたならば、新聞の資料的価値もたちまち消されてしまうでしょう。一部すでにその徴候が出ています。 日本発のファシズムを許すのかどうか、日本は今その岐路に立たされています。日本の言論界では、有名か無名かということが、真偽の判断よりもはるかに強力に機能していますが、名前よりも言葉の真実に耳を傾けていただきたいと、切に念じています。 わたしは当初、これほど長いレポートになるとは予想もせずに書き始めました。もっと早く書き終えるつもりでした。しかし米同時テロに遭遇してからは、わたしの体力、気力の許す限り、毎日告発レポートを発信しつづけました。当事者以外、おそらく世界中でただ一人わたしだけが、このテロの蔭の支援者を察知していると判断したからです。 この危険な集団の存在を、日本国内外の一人でも多くの人々に伝えたいとの、必死の思いでレポートしつづけてきました。日本語しか書けない壁が、一瞬にして国境の壁を越えるネット最大の効用を妨げており、とても残念です。 しかし通信社なら可能だろうと思い、ニューヨークタイムズに送りました。日本の政府機関にも送ります。ホワイトハウスにも送ります。荒唐無稽なことと一蹴されかねませんが、わたしの個人的な体験に裏打ちされたレポートです。 職探しを始めた矢先に米同時テロに遭遇しました。日本の文化ファシズム集団が関与していると判断してからは、職探しを中断し、レポート発信に集中しました。書くべきことはまだまだあるといえばありますが、日本発ファシズムの概要は一通り発信しました。 このレポートをもとに、3冊目の本を出版したいところですが、その資金的余裕はありません。3年無収入でもちこたえてきましたが、もう限界です。葦書房からは配当と称するものはわずかながら出ていますが、福岡の会社所有の自宅の家賃と相殺で、現金は一銭も入ってきません。無収入で迎える年末と新年。出版どころではありません。いつまでこのHPをつづけられるかは分かりませんが、ぎりぎり可能な限りつづけます。一人でも多くの方に読んでいただきたいと念じています。 下記の108に続く |
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●Home 文化ファシズムと米同時テロ 37 108 12月3日 えひめ丸事件の真相 公的には、日本とアメリカは同盟国であるということを前提に、すべてが動いています。しかし現在の日本は、これまでもしばしば指摘してましたように、政府や官庁という公的機関が、創価学会=池田大作、西武資本=堤清二・義明率いる西武、セゾン系企業、柄谷・浅田=出版業界という私的集団に実質乗っ取られています。少なくとも、政府の政策決定に、多大な影響を与えてきました。米同時テロ幇助にみられるように、彼らの発する「政策」の最大特徴は、勢力維持拡大のためには、方法手段を選ばないという点に尽きます。 実は彼らは、同時テロに先立ってすでに、不当な手段を用いてアメリカ攻撃をしかけています。えひめ丸沈没事件です。わたしはこの事件を知ってすぐさま、創価学会の関与を疑いました。そしてこのHPでその疑いを公開しましたが、ただ一点、当時は創価学会に反米志向があるとの想定ができずに、すぐに消してしまいました。アメリカは日本に次ぐ、歴史と信者を擁する国。そこに攻撃をしかけるなど、とうてい考えられないことだと思われたからです。しかし大作の野望が国内限定版だと考える方が、よほど非現実的でした。国内での異様な権力肥大化が、海外に向ける野望をも現実的な形で肥大化させていったものと思われます。もちろん、西武資本、柄谷・浅田という援軍があってはじめて可能になったものです。 公明党委員長神崎氏の子供さんが、福岡の水産高校に通っていました。他人の子供の学校でも徹底して調査し、教職員はもとより、子供の友人関係、友人の親や親族まで調べ、利権獲得の手段に平然と利用します。ましてや我が子となると、また格別でしょう。水産高校はその特殊性から、数が限られています。福岡の水産高校だけではなく、全国の水産高校の現況も間違いなく把握されているはずです。授業内容、実習内容も詳細に調査されていることはいうまでもないでしょう。それどころか、各所で「総体革命」が敢行されます。内通者、工作者、創価学会員が内部に送りこまれます。愛媛の宇和島水産高校も例外ではなかったはず。 実は詳細を省きますが、愛媛県そのものが福岡とさほど時を経ずに、文化犯罪者の標的にされています。(帝京大学の施設が愛媛にあり、不正資金の保管場所として利用されていたことが後に判明)。大学をはじめ学校関係への侵入は、ここでも最優先事項だったはず。なかでも水産高校の利用価値の高さには、大作はかねがね目をつけていたのではないかと思われます。蓄積されたデータ、人脈を駆使して、はじめて目に見える形で利用されたのが、えひめ丸沈没事件だったというのが、この事件に対するわたしの推理です。 事故当時、わたしは新聞報道を丹念に追いましたが、読めば読むほど不自然だとの思いが募り、創価学会によって仕組まれた「事故」だと結論づけました。 下記の107に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 36 107 11月30日 帝京大学理事が福岡で投身自殺 現在日本では、一国を代表する知識人、文化人ならびに企業が、ファシズム化への先導役を務めるという、前代未聞の事態が進行しつつあるわけですが、創価学会の温存、肥大化を許した背景も含め、「日本的」なるものの質があらためて問われるべきだろうと思います。 わたしが受けた被害は、まさに「日本的」なるものがいかなるものであるのかを、如実に示しています。個人の才能を集団で食い潰し、押しつぶすことに、さしたる抵抗をもっていないということです。柄谷・浅田、大作・清二という稀代の陰謀家の存在なしには起こりえなかった犯罪だったとはいえ、彼らの権威、存在を支持してきたのは、ほかならぬ日本の権威集団です。 個人よりも集団優位、「日本的」なるものの特性を一言でいうならば、やはりこの一語に尽きるでしょう。集団主義の最大の害悪は、個人の価値観や判断よりも集団、組織の価値や判断が圧倒的な力をもつということです。集団で犯罪を働けば、ほとんど罪悪感も感じません。創価学会はそれが極限化したものですが、根は日本的な集団主義とどこかで重なっています。池田大作の類い稀な陰謀家的才能が、その根を巨大化したわけですが、新たに加わった柄谷・浅田、西武資本がその根にさらに養分を加え、列島全土を覆い尽くしてしまいました。 出版業界の閉鎖性も、同じ根につながっています。新聞も同様です。さらには大学の閉鎖性も並ではありません。つまり人材を育成する機関、日本の知を育む拠点、時代の思潮を生み出す場そのものが、非常に閉鎖的だということです。しかしかつてはそれぞれが、互いに距離を保ち、それなりに独自の世界を保持していました。しかしそうした独自性も、文化犯罪者たちの暗躍で解体され、ほとんど世界が一元化してしまったというのが現在の状況です。この悲惨さの根源は、知に関わる世界が、程度劣悪な文化犯罪者どもに、ほぼ一元的に支配されてしまったことに由来します。その蔭には、数多くの有能な人材の死が相次いだことも、再度想起すべきでしょう。 ここで無名の人物ですが、不可解な死者をあらたに思い出したので書き加えておきます。帝京大学の理事が、福岡で飛び降り自殺をしています。創価学会の関与が噂された東村山市議も飛び降り自殺でしたが、この理事は、福岡にある医大進学専門の全寮制の予備校グレイスの理事長でもありました。 わたはここでも2年ほど教えていましたが、理事長は普段は東京で、福岡には年に数回来る程度、学校の運営は別の人に任せていました。理事長の自殺は新聞のニュースで知ったのですが、わたしが辞めてから2,3年後のことだったと思います。福岡にはめったに来ない理事長が、文化犯罪進行中の福岡に来て自殺。理由は、予備校の経営難を苦にしたものだったと報じられていました しかし、東京転居後は知りませんが、予備校が倒産したとのニュースは目にはしていません。その後証拠隠滅と予備校の資産巻上げを兼ねて、すべてが消されている可能性はありそうですが、民間企業ならともかく、学校法人の理事や理事長が経営難を苦にして自殺する例など、まずありえないことだと思われます。また、仮に福岡の予備校が倒産したとしても、理事長の本業は帝京大の理事です。それぐらいの理由で自殺するはずはありません。しかし、事実この理事長は自殺しました。結果、予備校の理事長席と帝京大の理事の席に空席ができたわけです。いうまでもなく、帝京大の空席の方がはるかに価値は高い。この空席を埋めた人物は誰か。 9月28日、薬害エイズ裁判が結審しました。帝京大元副学長の安部英被告は、大方の予想に反して無罪。その身代わりなのか、厚生省の役人個人に異例の有罪判決が出されましたが、厚労省の大臣は公明党の坂口議員。坂口大臣は、厚生省の役人だけがドロをかぶったような、この異例の判決に対しては、一言もコメントを発していません。偶然なのかどうか、結果としては、ともかくも法的には帝京大学の名誉は守られたわけです。空席を埋めた新しい理事と、この判決には何らかのつながりがありそうですが、真相はいかに。 死者に関してもう一人。最近主婦と生活社の人事部長が、肝不全で死去されたとのメール速報が届きました。何か非常に危険なものを感じます。福岡の岩田屋もまず人事部から、犯罪者どもの攻略がはじまったと思われるからです。先の帝京大の理事もそうですが、わたしが関系したありとあらゆるものが、大作・清二の攻略対象になっています。岩田屋の人事部長も同様です。福岡での成功が、その後の犯罪のモデルになっているようですので、とても気になります。 書きながらあらためて慄然とせざるをえませんが、日本の今の異常さは、このいかがわしい教団、創価学会が、政権の中枢の一角を占めているということに尽きます。わたしは、小泉首相ならば、創価学会の票に頼らずとも政権維持が可能だと思い、その一点において支持したのですが、両者の関係は、小泉以前も以降にもまったく変化はありません。むしろ、創価学会にはさらに有利な体勢が準備されていたといえそうです。そのすべてが小泉首相の直接の意思ではなかったにせよ、異様な小泉人気に便乗して、政治の腐敗がさらに進んだのは事実です。 創価学会、西武資本、柄谷・浅田、これら私的集団によって、日本の政治そのものが食い潰されつつあります。国民の審判のまったく届かないところで、日本の政治はズタズタにされています。まさに「私」が「公」を侵食。そのきわめつけが、米同時多発テロです。「私」の襲撃に世界中の「公」が震撼させられました。その暴力的手口は共通しています。イスラム過激派、日本の文化犯罪者の、「私」の奥にある思いは対極的なものとはいえ、この場合の「私」は共に、公共的的ルールの破壊を意味します。 真相を知らぬ日本政府は、テロ謀議に加わった犯罪者を政権に抱え込みながら、反テロ支援に力を入れています。彼らがテロに関与していたなどとは誰にも予想はできなかったとはいえ、そもそも創価学会といういかがわしい集団を、政権に取り込むという危機感のなさが、悲惨な滑稽さを招いたおおもとです。明日の票のことしか頭にはなく、国家大計など考えたこともない、単なる利権屋政治屋集団でしかないがゆえに、自民党は、何の抵抗もなく同質同類の創価学会と手を結んだのです。大作の権威の上昇は、公明党が政権与党になったことと密接不可分です。公明党の存在そのものが政教一致を禁じた憲法違反であるにもかかわらず、平然と政権に組み入れ、政教一致体制強化に自民党自らが手を貸してきたのです。しかし、この憲法違反体制が何をもたらしたかは、多言は無用でしょう。 テロ根絶のためにはまず、日本産のテロ支援集団の犯罪を明らかにすることです。このまま放置するならば、この集団の暴力的犯罪は、とめどもなく拡大するばかりです。イスラム過激派よりもはるかに危険な存在であることを、日本も世界も認識すべきです。日本政府の即座になすべきことは、公明党のみならず、創価学会そのものを解散させること。これは日本国民のみならず、世界の安全を保障するためには、避けることのできない最低の処置です。さらに西武資本や柄谷・浅田などの政治介入も、徹底して排除することです。それなしには、構造改革も規制緩和もまったく意味をなしません。 下記の106に続く |
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●Home 文化ファシズムと米同時テロ 35 106 11月29日 柄谷・浅田の新商売=盗品情報の配信 過ぎ去った時間に対し、「もしも」という仮定はまったく意味をなさないわけですが、しかしもしも、せめて新聞ジャーナリズムがまっとうに機能していたならば、このおそるべき文化犯罪の拡大は防げただろうと思います。しかし新聞も出版ともども、文化犯罪者どもを支援しつづけてきました。再販制度維持という当面の共通目標が両者を結びつけたのでしょうが、それにも増して、情報戦争の覇者たらんとする思惑が、新聞、出版の同盟を促進したとみるべきでしょう。 柄谷・浅田は、大作・清二の支援を受け、国内外の盗品情報の配信という新商売に乗り出しました。出版社、新聞社が彼らの犯罪的行為を承知しつつも、柄谷・浅田を支援しつつづけてきたのも、その情報に飛びついたからです。わたしはその最大の被害者だったわけですが、わたしが自分でその情報を作品化したならば、一個の商品しか生み出せません。第2、第3の作品を生み出すまでには時間がかかります。しかしその情報を盗み出し、細分化して配信するならば一気に多数の作品が生まれます。これが、柄谷・浅田の始めた新商売です。労せずして金儲けができ、しかも配信権をもつがゆえに、出版、新聞のみならず、書き手の側に対しても、強大な権限を発揮することが可能になります。 ただし配信に値する情報の入手や、人材の確保、拘束ができなければ、この新商売は成り立ちません。柄谷・浅田、大作・清二の頭脳からは、価値ある情報など生まれるわけもなく、柄谷・浅田単独では新しい作品も生み出せないからです。彼らにあるのは、他人の物をタダで巻き上げるための陰謀を巡らす能力だけです。この能力だけは並外れたものだということは、強調しておくべきでしょう。 彼らにとってわたしは貴重な情報の宝庫だったわけですが、勝手放題にわたしの情報をタダで利用するためには、わたしの自立を徹底して妨害する必要があったわけです。わたしが自分で作品化すると、彼らの商売の原資がなくなるからです。わたしの場合は、彼らを批判する以前から、徹底して業界排除が貫徹されていたのはそのためです。93年頃から刊行がはじまった、『女と男の時空』(藤原書店刊)と題する日本女性史現代編に、わたしは「女性文学の戦後」という100枚ほどの論文を執筆しています。同書の編集責任者であった河野信子さんに勧められて書いたものですが、これが縁で純真女子短大で教えることにもなった、因縁深い論文でした。 内容は未だかつて誰も書かなかった、女性文学の戦後文学論です。他に類書、類似の論文はなく、それだけでも希少価値のある作品ですが、内容的にもフェミニズム文学に新しい動きを促すものだと思われます。しかし同書刊行後、わたしが自分で西日本新聞に4枚ほどの紹介文を書いた以外は、書評にすらとりあげられず、完全に無視されてきました。柄谷にも献本しましたが、現代編の編集委員であった山下悦子氏と上野千鶴子氏とを『批評空間』に呼び、対談しただけで、拙稿は紹介すらされずにきました。この人選が、暗黙の業界基準になったのでしょう。山下氏は「週刊読書人」でもデカデカと取り上げられていました。「日経」でも然り。相棒浅田までが、それまで縁のなかったフェミニズム市場に進出し、新市場での権益確保に乗り出しました。柄谷・浅田が割り込んだ結果、わたしはフェミニズム分野でも排除される結果になりました。彼らの人選の基準が、ここでも露骨に出ています。 ただこの論文に関しては、不必要に柄谷の名前を出した個所があり、このままでは柄谷評価の水膨れに手を貸す恐れがありそうなので、現在ではこのままの形では、自分の作品として受け入れるには抵抗があります。昨年、廉価版が出たとのことで、藤原書店から献本や印税の連絡をいただきましたが、3ヶ月ほど前に藤原社長宛に、印税辞退とその理由を書いた手紙と『文化ファシズム』を郵送しています。 当時は柄谷・浅田がなぜ山下悦子氏だけにスポットライトを浴びせるのか、その意図がまったく理解できませんでしたが、これを書きながらはじめて彼らの狙いに気がついた次第です。つまり当時からすでに、わたしの業界排除は暗黙の了解事項になっていたのでしょう。そしてそれは現在にまで引き継がれています。それどころか、出版業界の談合的体質はますます強まるばかりです。 村上龍氏は実力、人気からするならば、柄谷・浅田の文壇政治とは無関係に仕事をできる作家であり、単独行を旨とする作家だと思ってきました。しかし最近、村上龍氏ですら文壇的談合枠からは自由ではないらしいと分かり、深い落胆にとらわれています。「jmm」に対する批判は何度か書きましたが、未だ一度もわたしの批判は同誌上に掲載されたことはなく、批判に対する回答さえ、片鱗たりとも示されたことはありません。そればかりか、わたしが批判している当の相手を支援さえしています。柄谷・浅田や、出版社からの働きかけがあったものと思われます。 「jmm」の誌面や動きは、村上氏にとっても理非善悪の判断よりも、文壇・出版界の秩序=既得権益を守ることの方が、はるかに重要だとの判断に立っているらしいということを示しています。「jmm」で盛んに交わされた「構造改革論議」は、文壇や出版界という自身の拠って立つ場所には適用されないのでしょうか。もしそうならば、既得権益にしがみつく政治家や官僚となんら変わりはないということになります。今さらいうまでもなく、既得権益を打破せずには、新しい動きも、新しい命の芽生えも起こりえません。ことに出版という、世論形成に重要な役割を担う分野が、既得権益死守をつづけ、談合政治容認をしつづけるならば、新しい言論など生まれようはずはなく、社会を先導する力など生み出せるはずはありません。 実はキューバ音楽の件で、触れずにきたことがあります。「jmm」では当時、コンサートの案内と同時にチケット購入の案内も同じネット上にセットされていました。チケットは西武系の「e+」でした。つまり西武もこのコンサートに関与していたということです。別に驚くほどのことではありませんが、後に、コンサートも終わってずい分経つにもかかわらず、チケット購入先が、「ぴあ」に変えられていました。わたしがこのレポートで、キューバをめぐる不可解な動きを批判して後のことです。西武とのかかわりを消そうとしたのかもしれませんが、終わったコンサートのチケット売り場など誰も見るはずはありません。わたしぐらいでしょう。「e+」が西武系であることを再度確認するために覗いたところ、書き換えに気づいた次第です。当時は村上氏と柄谷・浅田などとの関係が、さほど強いものとは思っていなかったので黙ってやりすごしましたが、そうではなさそうですので、事実を報告しておきます。 10万人近い読者数を考えるならば、非常に恐ろしいことですが、「jmm」も文化ファシズム連の世論操作に利用されています。さっそく橋本龍太郎氏が大阪で、「jmm」産の政策論議に便乗した、巧妙な反構造改革論を開陳していました。なんともお粗末至極。しかし「jmm」批判もこれが最後です。読者の意見など一顧だにされず、双方向性というネットの特性すら活かす意思などなさそうな「jmm」ゆえ、購読は止めにしたからです。 下記の105に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 34 105 11月28日 イスラム教と文化ファシズム 日本の文化犯罪者がなぜイスラム教に目をつけたのか、これはあらためて考えるべき問題だろうと思います。すでに一部指摘しましたが、資本主義に対抗する最上のイデオロギーになりうるからです。かつての社会主義や共産主義よりもはるかに強力な、対抗運動を生み出す源泉たりうるとみなしたからにほかなりません。今回の米同時テロは彼らの目算の「正しさ」を、一瞬とはいえ証明しました。しかし一瞬であるということは、特に強調しておかねばなりません。 合わせて、柄谷・浅田の掲げた「資本と国家への対抗運動」が単なる看板ではなく、国際的な犯罪を組織化することに真の狙いがあったことも、あらためて訂正しなければならないと思います。しかし看板が与える「正義」のイメージとは裏腹に、この看板を彼ら一個の権威、権力維持のために利用していることは、再度強調しておきます。これは、神の名による正義を信じて、若き命を散らした自爆テロ実行犯たちとの決定的な違いです。イスラム教徒たちの命を踏み台にして、柄谷・浅田はその権威を維持、強化することを画策してきたのです。イスラム教を悪用し、世界の知を不法に収奪しうる体制づくりに狂奔してきたのが柄谷・浅田の本性です。 ところで日本の文化犯罪者が目をつけたイスラム教の最大の特性は、アッラーへの絶対的な帰依の強さです。これは発祥の根を同じくするキリスト教はもとより、ユダヤ教とも根本的に異なる点だろうと思います。仏教はいうまでもありません。建前上、日蓮を本尊とする創価学会も、日本の信者の池田大作本尊への帰依は絶対的なものでしょうが、それとてもイスラム教徒にはかないません。ましてや世界的な拡がりは、大作本尊ではとうてい不可能です。そこで目をつけたのがイスラム教です。大作にとっては宗旨など、権力維持拡大のための単なる方便にしかすぎず、縁もゆかりもないイスラム教へのパラサイトにも何の躊躇もありません。堤清二という強力な援軍も得たわけです。柄谷・浅田という「優秀な」陰謀家も手足となっています。ただ進軍あるのみ。 アッラーへの絶対的な帰依は、アッラーの名で出される命令の絶対性を意味します。アッラーを冒涜したとみなされれば、作家であろうが翻訳家であろうが、世界のどこにいても、神の名において公然と殺されます。作家や翻訳家の場合は目立ちますが、イスラム教が「原理主義的」な動きを強めると、日常的に粛清が起こりえます。またイスラム教は、他のどの宗教にも増して、世界的なネットワーク構築が簡単です。アッラーの名で、全世界のイスラム教徒を瞬時にして掌握することも可能。政教一致を基盤にしたイスラム教は、それほど神の絶対性が強固だということですが、裏を返せばその分、生身の人間は窮屈な生活を強いられざるをえません。 とはいえ、宗教はそもそも信仰者に何らかの規制を強いるものです。その規制を受容するところに信仰が生まれるわけですが、もしもその規制が人々の日常的な営みの隅々にまで及ぶならば、その社会の活動は、強い規制のもとで停滞を余儀なくされざるをえません。タリバン下のアフガンはまさにその典型でした。またタリバンにはパキスタンやアラブ諸国、チェチェンなどからやってきた、外国人部隊が相当数いたことも周知の事実ですが、同じイスラム教徒ということで、外国人によって支配されているとは誰も思いません。もちろん、政権の中枢にはアフガン人が就いたでしょうが、軍事的な実権は間違いなく外人部隊が握っていたはずです。ビンラディンやアルカイダの存在は、その象徴だろうと思います。 近代的な国家機能が整っている国からするならば、想像もつかない事態ですが、テロやゲリラを組織し、動かすには格好の形態です。しかしよくよく考えてみれば、アフガンは少なくともここ5年ほどの間は、タリバンの蔭にいる、外人部隊の武力によって治安維持がなされてきたわけです。中村哲氏をトップにいただいたペシャワ−ル会は、その平和部隊に当るわけですが、「戦争」も「平和」も共に、外国人の手の中にあったというのが、ここ5年ほどのアフガンの偽らざる実態です。中でも日本の文化犯罪者集団は、アフガンを骨の髄までしゃぶりつくしたというべきでしょう。そのきわめつけが、東京フィルメックスに出品された映画「カンダハール」です。大作・清二、柄谷・浅田の裏の顔の残忍さを、これほど強烈に映し出す「作品」はほかにはないでしょう。 この項の最後に、気になりながら触れずにきた堤清二と堤義明氏の関係について一言触れておきたいと思います。わたしが直接見聞きした範囲では、少なくとも福岡には両者共に進出しています。不動産開発が主たるものですが、福岡で協同したのなら他地域でも協同しただろうとは推測できますが、あくまで推測です。先日、巨人の渡辺オーナーが、フジテレビの野球協約違反に対して異議を表明しました。このニュースは、清二・義明両者の歩調に乱れが生じたのかと思わせるものでしたが、その後の報道を見ると、あの異議申立てにも不自然な点がありそうです。ただ現時点ではっきりいえることは、所詮は兄弟です。ましてや同じ西武グループ。完全な音信不通などはありえないだろうということです。 下記の104に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 33 104 11月27日 「同時テロ」は反資本主義と個人的な恨み 映画祭といえば、今年で2回目になる「東京フィルメックス」に、興味深い出品作が含まれています。その名も「カンダハール」。いうまでもなくタリバン発祥の地であり、本拠地。現在もアフガン内に残された、タリバン最後の拠点です。 同映画祭のHPを見ると、タイトルとともに、イスラム教徒の祈りの場面と思われる写真が掲載されていました。映画を見ずとも、これだけでもう十分に中身が推測できそうです。映画監督がどういう人物なのかは分かりませんが、原作者であり映画監督でもある人物は、来日を予定していたそうですが、病気を理由に急に来日を取り止めたらしい。そのお知らせも出ていました。 実はこの映画祭も大作・清二が黒幕です。会場は、有楽町の西武百貨店ホールと朝日新聞の浜離宮ホール。見事なタイミングです。時期が時期だけに、本来ならば「カンダハール」は、この映画祭の目玉商品になるはずだったと思われます。しかし「アフガン難民支援」のまやかしを暴露した私の批判が彼らの思惑を狂わせたのでしょう。 目玉商品は別のものに代わったようです。しかし思惑通りにはいかなかったとはいえ、出版業界ともども、映画祭までもがテロ謀議のインサイダー工作の対象だったわけです。第一、タリバンの本拠地であるカンダハールで映画撮影が可能であったこと、許可されたこと自体、タリバン政権との強力なつながりを示唆しています。つまりこの映画祭の黒幕は間違いなく、タリバン政権と緊密な関係にあったということです。 ヴァチカン攻略とタリバン支援。大作・清二の世界制覇戦略を象徴するものですが、相前後して開かれた、ベネチア映画祭と東京フィルメックスの二つの映画祭は、彼らの世界制覇戦略における、「宗教的」立場を自ら暴露したものだといえそうです。 ヴァチカンとはいうまでもなく、キリスト教を基盤にした西洋の象徴であり、一方タリバンは、イスラム教を基盤にした反西洋の象徴です。 世界制覇のためには西洋=欧米攻略は不可欠です。創価学会は「総体革命」と称して、国内外の国家や企業の中枢機能に創価学会員を送り込み、事実上の乗っ取り工作を進めていますが、個人主義、自由主義が基盤の欧米では一部を除き、日本ほど「総体革命」は進みにくいはず。そこで手っ取り早い直接行動を画策してきたわけです。その一つの「成果」がタリバンでした。つまり直接行動による欧米攻略の先兵として、イスラム過激派を利用したわけです。 日本のファシズム集団はタリバンとは日常的に接していましたが、おそらくビンラディン本人との直接的な接触はなかったろうと思われます。しかしアルカイダの兵士との接触は間違いなくあったはず。ドイツに留学中の学生がテロ実行犯の一人でしたが、ドイツは柄谷・浅田も馴染みの国。仲間の磯崎新氏も、東西ドイツ統合の街づくりに建築家として参画しています。 さらにドイツ最大の書店と紀伊国屋書店が提携。出版業界ぐるみの交流が進行していました。当然、創価学会支部もできています。大作・清二はそうした日独文化交流の拡大深化を利用しつつ、ドイツをイスラム過激派の国際的拠点の一つにするために、ひそかに工作を進めた模様。 アフガンの優秀な学生を欧米に送り込み、自爆テロで抹殺していく。アフガンの自立を妨害することも、テロのもう一つの狙いです。もちろん日本人が直接テロを指示するなどいうことなありえないでしょうが、テロを幇助し、さまざまな形で影響を与えていたのは確かです。 特に今回の超高層ビルを狙った同時テロは、柄谷・浅田の個人的な恨みを晴らすことも狙いの一つであったと断言しておきます。世界資本主義の象徴であるTWCビル爆破は、反資本主義という大儀と同時に、その蔭にわたしの柄谷・浅田批判への嫌がらせという、個人的な恨みが隠されています。 わたしは『文化ファシズム』で、彼らの仲間の磯崎新氏と磯崎氏にパラサイトしている浅田を批判しています。東京都庁の設計案をめぐる問題ですが、この問題の核心は超高層か否かに尽きます。低層の磯崎案を賛美する浅田に対して、わたしは現在の超高層の都庁は鑑賞に値する美しさだとほめたたえました。 柄谷・浅田はわたしの批判に言論では応えられずに、イスラム過激派のテロに便乗し、高層ビルのマイナスイメージを暴力的に作り出したのです。テロ後も、タリバン幹部から、再度のテロに備えて超高層ビルから退避するようわざわざ声明まで出ています。再度のテロはなかったわけですが、高層ビルのマイナスイメージだけは十分に世界中に拡がりました。わたしの柄谷・浅田批判もこの同時テロで、一見無効になったかの感さえありますが、奴らの残忍さがより鮮明になっただけだと、ここでもはっきりと断言しておきます。 ついでに、別の建築家についての、わたしの書評も掲載しておきます。『芸術新潮』9月号の安藤忠雄特集号の書評ですが、9月28日にbk1ブックス安藤の「お客様レビュー」に掲載されたものです。安藤忠雄氏については、柄谷は、人の住めない長屋を建てていると批判していますが、同誌にはおそらくその長屋だと思われる写真も出ています。彼らにとっては作品そのものよりもまず、仲間か否か、談合に加わるか否かが評価基準になるということです。 ◆◆「安藤忠雄が語るル・コルビュジェの勇気ある住宅」は、建築が思想であり、哲学であり、芸術であることを余すところなく語り尽くした、読みごたえ、聞きごたえのある特集です。建築論、建築談義をド素人が聞いても面白いと感じる例はあまりないように思われますが、安藤氏の話はそのめったにない例にあたりそうです。安藤氏の話がなぜ面白いのか、その一番の理由は、ル・コルビュジェを通して安藤氏の建築思想が存分に語られているからです。 つまり、安藤氏の話にはウソがないということ。ル・コルビュジェの建築思想、建築哲学が、一時の借り着として使われているのではなく、安藤氏の中で、長い歳月をかけて完全に血肉化されているということです。ド素人にも、ル・コルビュジェの魅力、建築の面白さが無理なく、存分に伝わってくるのも、そのウソのなさ、血肉化された言葉のかもし出す威力ではないかと思います。ちなみに安藤氏もル・コルビュジェも、正規のルートからはずれた、いわば「異端児」として建築家デビューしています。ここにも魅力の秘密がありそうです。◆ 下記の103に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 32 103 11月26日 談合文化の増殖と堤清二 この文化犯罪における堤清二の役割は、強調しても強調しすぎることはないと思います。創価学会=池田大作と柄谷・浅田は、犯罪の発端とはなりましたが、堤清二の社会的地位と信用、経済、文化両業界への強力な影響力なしには、その後の拡大はありえなかったからです。 わたしの堤清二批判に対しては、文化関係者からは反感をもたれているようですが、この犯罪への関与以前と以降では、堤清二の文化戦略は大転換をしています。もともと文化業界に対する覇権の意欲は強く、流通業界に対する以上のものをもっていたと思われますが、かつてはバブル景気の勢いもあり、文化事業にも資金を投入するというノーマルな手法で覇権拡大を展開してきました。企業家としては当然の順法的手法です。 パルコやセゾン文化の享受者は、順法的文化人企業家、堤清二の印象だけが強く残っているようですが、池田大作と同盟を組んでからの堤清二は、覇権手法を大転換しています。資金を使わずに覇権拡大の手法を会得したからです。資金を投入して覇権を拡大する場合は、当然拡大にも限界があります。堤清二の害がさほどのものではなく、その影響力も限定された領域にとどまっていたのも、資金的な限界からくるものでした。 美術館や劇場などはその象徴だったわけですが、金食い虫の施設を自分で持たずとも、覇権拡大は可能であることを福岡で学びました。資金いらずの、覇権の無限拡大が可能になった結果、堤清二の及ぼす害は、創価学会=池田大作の政治力ともあいまって、今や政治の中枢をも壊滅するほどになっています。(拙著は2書とも、西武・セゾン系の書店からは排除されていますが、パルコ渋谷店の店長は、『文化ファシズム』を読者が買いに来たが、置いてないと応えた、これからも置かないと平然と言い放ちました。 読者の要望を無視してでも批判本を排除!昨年(2001年)9月頃のことです。以来、同書店には二度と行くまいと決意。おそらく現在も排除したままだろうと思いますが、驚いたことには、「個人保護条例法案」反対運動にはパルコも積極的に参加しています。欺瞞もいいところですが、文化人の取り込みと政局撹乱を狙った反体制的運動の利用です。西武・セゾン文化のいかがわしさと文化ファシストたるゆえんを象徴しています。2002/2/5追記) 自民党のみならず野党にまでその工作は及んでいます。この新手の利権屋集団にとっては主義主張はどうでもいいわけです。どっちにどう転んでも利権にありつけるように右にも左にも網をかけています。 堤清二、柄谷・浅田の文化犯罪者が、創価学会アレルギー派をも取り込んでいるからです。宗教界の篭絡も清二がいなければ不可能でした。かつては利権、権力争いにも党派、主義主張の違いはあったわけですが、文化犯罪者集団は、そうした区別を無効にしてしまう無差別浸透法を敢行したわけです。 自自労幹部の驚くべき腐敗も、こうした文化犯罪者の動きとは無関係ではありません。「正義」の御旗をも、何の躊躇もなく、単なる利権の具として平然と利用する彼らにとっては、理非善悪の別などまったく意味を持たなくなっています。チェック役が事実上消されてしまいました。倫理や正義の無限崩壊です。 彼らにとってもっとも重要なことは、利権獲得、維持のために談合体制を維持強化することだけです。談合に加わらなければ徹底して排除し、痛めつけるという容赦ない制裁が待っています。しかし談合に加われば、能力、内容に関わらず、特段の褒賞が与えられます 驚くべきことには、この日本的談合手法は、海外にまで輸出されている模様。今年のベネチア映画祭のグランプリンを受賞したという今村昌平監督の「赤い橋の下のぬるい水」を見て、その感を一層強くしました。これは内容とは無関係に授与されたものです。おそらく今村監督自身も受賞には戸惑っておられるのではないかと思われます。それほど見るに耐えない内容でした。昨年受賞した「うなぎ」とは比較になりませんし、今村監督作品の中でも別格的に最悪の出来。 さらに嘆かわしいことには、原作者辺見庸氏の名前と作品名があげられていますが、辺見氏の原作とは似ても似つかぬものになっています。映画が原作とは違ったものになるのは珍しいことではありませんが、これほど原作とかけ離れた作品も珍しい。原作よりよく描かれたのであればまだしも、原作を知らず、この映画だけで辺見庸を判断されるとなると、辺見氏にとっては評価を落とす結果にしかなりません。それほどの改悪ぶりです。おそらく意図して改悪しようとしたのではなく、映画製作者たちの読解能力のなさ、低劣な品性が自ずと原作とは無縁の映画を作らせたのだろうと思います。 下記の102に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 31 102 11月24日 守旧派の牙城、出版業界 前々回、葦書房の三原氏とのやりとりを紹介しましたが、重要な一点を書き忘れていました。長男を葦書房に入れる場合には、わたしが所有する葦書房有限会社の社員株をすべて長男に譲り、わたしは一切タッチしないこと、これが条件だとの一方的な申し入れがありました。 法的にはまったく通用しない申し入れですが、実効支配が有効な環境下では、「法」はまったく無力です。この条件が何を意味するかは明々白々、露骨すぎるほどです。とうてい三原氏単独の案とは思えぬものでした。株をすべて手放すことを決意したのは、この条件を提示されたからです。 実は三原氏は今期限り(2002年6月末)で退任する意向のようで、今年の決算前に何度か、わたしにではなく長男に電話がありました。それもあって三原氏に会いに行ったのですが、会見の顛末はすでに述べたとおりです。退任が本気かどうかは別にして、「退任」話は息子を介してタダで株を収奪する戦法だろうと思います。 株を入手すれば、名実ともに葦書房は、三原氏ならびに背後にいる文化犯罪者どものものになります。しかし三原氏自身は大作・清二、柄谷・浅田などとは直接の関わりはないはずです。彼らと同じ利権を狙う、三原氏に親しい人物を介して、間接的な働きかけがなされています。 しかし一方で、ポスト三原をにらんだ福岡支配のあらたな戦略を立てているのも事実です。石風社福元と中村哲氏の急浮上は、その一つの現れにほかなりません。彼らと同質同類の福元と、抑圧的な支配を是とする風潮の伝道師中村哲氏は、彼らの支配を強化するための有能な人材です。しかも福岡のみならず、全国に一気波及を狙ったものでした。 「アフガン難民支援」という一切の批判、反論を封じる最強の「正義」が、伝道に最上の威力を与えました。 出版、講演等、彼らの役に立つ伝道師中村氏には、数多くの機会が用意されていました。法政大学でも中村氏の講演を開催。NAM法政も作られていましたが、近大教授柄谷は、法政大学にも今もなお影響力を行使しているはずです。中村氏の講演もそのつながりあってのもの。一見、まったく無縁に思われた、石風社・中村哲氏と柄谷との関係がここにきて目に見えるほど明らかになりました。 すでに書店がオーバーストア気味である福岡に、ジュンク堂が、東京池袋の本店1000坪の倍近い、1700坪という巨大書店を開店させるのも、こうした動きと連動しています。今や書店は、採算を度外視した別の機能を担わせられています。 出版社、取次(地方小のみならず、すべての取次)のみならず、末端の書店に至るまで、この犯罪の環の中に組み込まれているわけですが、ことに書店の役割が重視されています。書店の地位を強化し、悪用するならば出版社、取次のみならず、作家をも規制し、支配することが可能です わたしはモロその被害に遭っているわけですが、これはわたし一人の被害にとどまるものではありません。大阪でもリブロが、ジュンク堂に近接して出店します。 出店時の商品仕入れが「タダ」だという、出版の流通を歪める異様な商慣習が、読書人口が減少しつづける中での出店攻勢を可能にしているわけですが、業界支配の覇権争いも絡んでいるのでしょう。 政府の規制緩和、構造改革の遅れが批判の槍玉にあがっていますが、批判は当然とはいえ、日本でもっとも規制緩和が遅れ、本質的な構造改革への気配すらないのが、出版業界です。新参者を徹底して排除し、既得権益を守るためなら手段を選ばぬ守旧派的体質は、政治家、官僚以上です。 不当に権利、財産を侵害され、たった一人で仕事をせざるをえない非力な個人(筆者)を、助けるどころか、さらに組織的に痛めつけるという非道が、公然とつづいています。日本の知の拠点となるべき出版界が、今や犯罪の拠点と化しています。出版界が真に改革されない限り、日本そのものの改革も不可能です。 柄谷・浅田の犯罪は、犯罪をも是認する出版界の腐敗が生み出したものだというべきです。 しかし93年頃までは、堂々と柄谷批判をする編集者もいたわけですが、編集者に代わって、書店が編集者の代用となることすら是認する風潮が漂いはじめた現在は、犯罪を犯罪とも思わぬおそるべき頽廃が業界を侵食しています。 書店の拡大と、柄谷・浅田、大作・清二の犯罪とは軌を一にしたものですが、頽廃進行の蔭には、幾人もの真に有能な人材が集中的に亡くなっています。 厳しい創価学会批判を展開していた、元毎日新聞記者であったジャーナリストの内藤国夫氏も、99年7月に食道ガンで亡くなっています。62才。 下記の101に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 30 101 11月22日 自爆テロは知識人抹殺と証拠隠滅を兼ねた攻撃手法 独裁と「反近代」回を重ねるごとに、わたしの犯罪告発は苛烈さを増す一方ですが、この文化犯罪の規模と悪辣さが、行けども行けど終わりが見えぬほどに、底知れぬ域に達していることを物語っています。 日本の一地方で始まった文化犯罪が、世界の紛争地域にまで直結しているなどとは、犯罪当事者以外には想定不能の事態です。しかし日本のどこにもない、世界のどこにもない、長い年月アフガンと直結してきた民間組織、ペシャワ−ル会の存在が、想定不能の難問を解くカギとなったわけです。 タリバーン政権下、女性の教育が禁止されていたことはつとに知られ、問題になっていますが、同政権下では女性も含め、そもそも教育の機会そのものが非常に制限されていたわけです。就学率は小学校で24%、中学校で8%(2001年、共同通信調)という異様な低さです。 小学校はおそらく、中村哲氏が推奨するコーラン主体の寺子屋かそれに準じるものだろうと思われます。教育水準の上昇は、その国や地域の生産力上昇に直結する重要な要素ですが、同時に、人々の知的目覚めをも促します。独裁的な為政者にとっては、後者の変容はもっとも避けたい事態です。 紛争や旱魃などで教育の余裕などなかったというのが主たる原因だっただろうとは思われますが、近代教育を「悪」とするプロパガンダが、ペシャワ−ル会などを介して、長年にわたって執拗につづけられたのは間違いないでしょう。 欧米で高等教育を受けた若い有能な青年たちは、次々と自爆テロで消されています。まさに一石三鳥、知識人抹殺と証拠隠滅をも兼ねた攻撃手法です。 一方国内に残る女性知識人たちは、コーランの教えを盾に抑圧を余儀なくされてきました。かくてアフガンには、「見ざる、聞かざる、言わざる」を是とする状況が定着します。これがタリバン下の治安維持を可能にした背景ですが、それは同時に、世界最大の麻薬地帯との不名誉かつ悲惨な地位を、アフガンに保証する結果にもなっています。 ビンラディンはこの麻薬売買でも巨利を得ているそうですが、日本の文化犯罪者、大作・清二も同様の巨利を得ているはずです。さらには、なんの産業もないアフガンを経由して、関税なしで周辺国に日本からの密輸品を売りさばくという、新商売からも巨利を得ているものと思われます。因みに、ビンラディンの兄弟が、アメリカのボストンに豪華な事務所をいくつも所有しているそうですが、 ボストン(マサチューセッツ州)は、創価学会にとっても、アメリカにおける主要拠点の一つ。ニューヨークを在米拠点とする柄谷(コバンザメ浅田)も、同地に出入りしていたものと思われます。あるいは住まいがあるのかもしれません。同地はまた、アメリカでも有数の過激派の拠点だとのこと。つまり日本の文化犯罪者と、ビンラディンやイスラム過激派アルカイダとを結ぶ糸が、実はアメリカのボストンにもあったということです。 そのアメリカで創価学会が通信・放送衛星を打ち上げましたが、ネットで調べたところ、大学どころか、国でさえ人工衛星を打ち上げているのはほんの一握りであることが分かりました。 技術の問題以上に資金がネックになっているものと思われます。にもかかわらず、一宗教法人にすぎない創価学会には可能であった。まさに創価学会は国家的規模の活動をしていることを意味しています。 日本国のなかにあるもう一つの国家、創価帝国です。創価学会=池田大作の国家的野心は、オウムの比ではありません。しかしながら、日本の政治家や官僚の危機感のなさは異様です。自ら、日本国を創価帝国に供物として献上しているとさえ思えます。国税当局が査察に入らないのも、創価帝国に恭順の意を示している結果なのでしょうか。 しかし創価帝国に膝を屈しているのは、政治家や官僚だけではありません。宗教界も同様です。先般、韓国の戦争被害者の方が、小泉首相の靖国参拝を不当だとして提訴しました。被害が癒されぬまま戦後を過ごさざるをえなかったその心情を思うならば、やむをえぬものとは思いますが、そこに真宗大谷派が加わりました。提訴理由は、政教一致を禁じた憲法違反です。 しかし政教一致違反をいうならば、創価学会ほど憲法の基本精神を踏みにじっている宗教法人は他に例はありません。政教一致どころか、「教」が「政」を完全に呑み込んでいます。しかも池田大作という一個人が、日本の政治そのものを呑み込んでいるのです。世界的にみても異例ですが、日本の政治のみならず、日本そのものが直面している危機は、創価帝国を抱え込むという二重国家体制に起因しています。しかも日本のこの危機は、世界に直結するものであることは、米同時多発テロが証明しています 下記の100に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 29 100 11月21日 出版業界の独裁体制とたった一人の反乱 職も見つからず、原稿をもちこんでも出版社からは断られ、やむなく自分で出版を決意。『柄谷行人論』と『文化ファシズム』の2著を出しましたが、いずれも印刷代が出るか出ないかという状況です。特に2000部刷った『文化ファシズム』は、出荷量の半分ぐらいは返品され倉庫に眠っています。事務所にも山積みされたままです。 2著、特に『文化ファシズム』は出版業界内外に与えたインパクトは決して少なくないはずですが、蔭で陰湿にわたしの批判封じをするという動きで対応し、正面から取り上げるメディアは皆無でした。 それどころか、注文を受けて20部直接届けたある書店では、何ヶ月も店頭に並べられずにいました。たまたま同店をのぞいて知ったのですが、書店を使った嫌がらせです。同様の嫌がらせをしたリブロ池袋店に対する、わたしの批判(『文化ファシズム』所収)への再度の嫌がらせを、他店が代理でしたものだろうと思います。 同様の「嫌がらせ」再上演は新聞関連でもありました。当社を支援したいと繰り返し口にし、こちらを感激させて広告を掲載させたものの、支援どころかまったく逆の紙面展開をした週刊読書人を『文化ファシズム』で批判していますが、日本経済新聞の勧誘員もまったく同様の手口でアプローチしてきました。 ソックリだなあとは思いながらも、小さな書評紙とは違い、天下の日経新聞が客を騙すはずはないだろうと思い、本紙とは別に日経流通新聞を購読してしまいました。出版流通の不当さを、流通一般の問題として取り上げてほしいとの思いもあっての購読でした。しかしこちらも週刊読書人同様、まったく逆の展開になりました。契約期間中は解約は受け入れられませんでしたが、今は日経新聞も購読を止めています。 新聞業界を巻き込みながら、出版業界の上(出版社)から下(書店)まで一体になった文化的独裁体制が強まるなかで、たった一人の反乱をつづけることは容易なことではありませんでした。わたしの何倍、何十倍、何百倍もの収入のある連中が、群れをなして襲ってくるわけです。わたしはまさに難民として東京にたどりついたとの感を今も強く抱いています。しかしアフガン難民に対しては強い関心と同情が寄せられていますが、権利を蹂躙されている目の前の人権難民に対してはきわめて冷淡です。 わたしをめぐる災いの複雑さは、葦書房絡みであることに由来しており、迷いながらも葦書房との関係を断つために、これまで何度か葦書房の株売却を試みています。最初は西日本新聞の紹介でしたが、当初は乗り気であった相手の様子が途中で変化。当方も共同で経営することを求めてきたのでキャンセルしました。 ダイヤモンド社にも仲介を頼んでいます。98年の9月か10月だったと思いますが、『宣伝会議』に出ていた求人広告が縁で、ダイヤモンド・ビッグ社の編集担当者の方と手紙のやり取りがはじまりました。 盗聴に気づき、短大を辞めたいと思い始めた頃です。短大を辞めて上京することは諌められましたが、とても好意的な応対が後々まで印象に残る方でしたので、その後1年ほどしてから、その担当者の方に思い切って株売却の仲介をお願いしました。 結局売却相手はみつかりませんでしたが、『週刊ダイヤモンド』99年新年号に、なんと浅田が初登場。その後も浅田は同誌に出ています。柄谷宛以外の手紙もすべて検閲されていたので、わたしの私信を利用した「ダイヤモンド」侵入だったに違いありません。なお、当の担当者の方は同社を退職されたとの由、今年の春、挨拶状が届いていました。ほかにも何度か試みましたが、うまく話が合いませんでした。 しかし手持ちのおカネも底をつき始め、再度売却を試みました。今度は朝日新聞関連の会社に仲介を依頼しましたが、米同時テロの衝撃と不況感の加速で、それどころではなくなり、現在に至っています。 折りも折り、中村哲氏と石風社福元が、一気に全国区に浮上してきました。石風社の『左官礼讃』の出版と新聞各紙での紹介のタイミングは、「反近代礼讃」というその内容ともあいまって、テロの効果を別の角度から補強する役割を担っています。これもとうてい偶然とは思えません。 中村氏のデビュー工作同様、出版界のインサイダー工作の産物のはず。米同時テロは、地方出版界の操作にも利用されています。内容の善し悪しを論ずる以前に、法も正義もまったく機能しなくなっている感のある、出版界の政治的動きをこそまず問題にすべきでしょう。
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●Home 文化ファシズムと米同時テロ 28 99 11月20日 文化犯罪と石風社・福元。助教授の職を失い無収入に。 前々回(97)の中村哲氏の著書を巡る不可解事について、説明をいただけたらと思い、bk1の安藤哲也店長にもメールを送りました。これまで安藤店長とは何度もメールでやりとりを交わしてきましたが、この件に関しては返事はありません。おそらく安藤店長も詳しい事情は知らなかったのかもしれません。ただはっきりしていることは、公正、中立であるはずの書協が、データ改竄に手を貸しているという事実です。書協単独で改竄するはずはないので、版元である石風社の福元との合意による改竄でしょう。 改竄の第一の目的は、中村哲氏をアフガン難民問題の最高の権威者に仕立て上げること。『ダラエ・ヌールへの道』の書協登録データに、「アフガン難民とともに」というニセの副題をつけているのもその効果を狙ったものです。電子データの最大の弱点ですが、「17年」というニセの履歴ともども、中村氏をアフガン問題の最高権威者に押し上げました。 『潮』『世界」『中央公論』のみならず、他誌にも中村氏の名は頻出しています。 (中村哲氏の『ダラエヌールへの道』に関して一部訂正します。同書は、石風社から刊行された中村哲氏の2番目の著書でした。タイトルは失念しましたが、同氏の最初の著書は、西日本新聞に連載されたものをもとに石風社から出版されたものです。同書に関する記述は、すべて最初の著書に対するものです。2002/8/31) この唐突、異様な中村哲氏浮上を目の当たりにしていると、柄谷・浅田の強力な援護者として中村哲氏を全国区デビューさせることも、米同時多発テロの、隠されたもう一つの重要な狙いだったのではないかとさえ思えてきます。一度に何誌にも登場するのは、日本で暮らす売れっ子作家でさえそう簡単ではないはず。事前に、衝撃的デビューを狙った、相当念入りな計画がなされていたと想定せずには不可能な、「華々しい」デビューぶりです。 テロが事前に分かっていたがゆえに可能な計画だったはず。思わず背筋が凍ります。ビンラディンがテロを利用した株の「インサイダー」取引で大儲けをした構図に似ています。 ところで、中村氏の日本での本拠地は福岡市です。発行年の改竄には実はもう一つの狙いが隠されているのですが、それは福岡という土地に絡む問題です。石風社から出された中村氏の最初の著書は、西日本新聞に連載されていたものがもとになっていますが、 当時、葦書房の社長久本三多も発行したいと新聞社に申し入れてました。しかし当時の「西日本」文化部は石風社の福元とは非常に懇意な、福元シンパとして有名な女性がデスクをしており、はじめから勝負にはなりませんでした。 結果福元が企画をとったわけですが、最初に河合塾から出されたという出版順序の改竄は、こうしたいきさつを隠す狙いもあったはず。しかし今から思うと、おそるべき陰謀の片棒を担がされていたかもしれず、中村氏とは縁がなかったことは幸いだったというべきでしょう。 福元についてはこれまでは、さほど名前の知られていない地方の小さな出版社の代表ゆえ、名指しでの批判は避けてきました。しかし想像以上にこの犯罪に加担し、重要な役割を担っているとの判断に立たざるをえなくなった今、なぜ福元が柄谷・浅田のひそかな信任を得て、出版犯罪の重要な役割を担っているのか、その理由を明らかにしたいと思います。 福元と出版業との関わりは、渡辺京二氏の推挙により葦書房に入ったのが発端ですが、当初はともかく次第に周りとの軋轢が増してきました。社長である久本三多自身が出社拒否に陥るほどの忌避感を抱くようになりました。後にはわたし自身もその忌避感を身をもって体験するに至るのですが、当時はなぜそこまで福元を忌避するのかは、正直理解できませんでした。 とはいえ社長自ら福元をクビにする決断も下せず、うつうつと日を過ごしていたようですが、現在海鳥社の社長をしている西俊明氏が、福元との軋轢に我慢できなくなり辞めると言い出したので、やっと福元の解職を決断したという次第です。 福元は、周りの者が逃げ出したくなるような状況を作る「才能」の持ち主です。言い換えるならば、他人のものを平然と侵食する才能です。直接金品を盗むというような目に見える犯罪ではなく、金品のタネになりそうな人間にパラサイトしてジワッと侵食していく手法です。ですから直接被害にあった者は強烈な忌避感を抱くに至りますが、第三者に説明するのは難しいという、独特卑劣な侵害手法の名手です。柄谷には、福元の卑劣さを訴える手紙を出していますので、当然奴の人となりは十分に承知しています。 今から思うと、泥棒に万能の鍵を渡したようなものだと悔やまれますが、柄谷・浅田は福元とまったく同質、同類の人種だったわけです。 わたしは福元のような人間は二人とはいないだろうと思っていましたが、福元的人種が多数派だと知るまでには長い年月がかかりました。柄谷・浅田にとっては、福元はまたとない有能な手先となったはず。もちろん直接のコンタクトはとらず、間接操作です。地方小出版流通センターの川上賢一氏は福元とも親しく、川上、福元の連携もこの犯罪遂行を容易にしたものと思われます。 柄谷・浅田の批評空間社はこの地方小を取次として本を流していますが、同社HPには地方小の設立趣意書をわざわざ掲載し、宣伝に一役買っていました。実質西武の子会社化している感のある地方小は、当社に対しては、西武批判を理由に取引を拒否しています。「出版言論の自由」を平然と踏みにじっているわけですが、柄谷・浅田はそれを百も承知で、建前だけの趣意書を代理で掲げてやっているわけです。「看板」と中身が違うのは当然だとの開き直りでしょう。柄谷・浅田ー堤清二ー地方小(川上賢一)ー福元ー創価学会。似た者どうしの連環です。 ところでわたしは1999年3月(当時の年収は約700万円)に、純真女子短大国文科(助教授)を辞めて以来、ずっと無収入の状況がつづいています。 99年10月に東京に転居するまでも散々職探しに奔走しましたが、いずれも不可。派遣登録をしたものの、塾の講師か編集を希望職種としていましたが、まったく無関係な、ビール缶のラベル貼りを紹介されるという嫌がらせまで受けました。まともな職につけないほど能力が劣っている訳ではありませんので、明らかに嫌がらせです。 因みに短大での職務状況を書いておきます。 1994年4月純真女子短大国文科非常勤講師、 1995年4月同専任講師 1996年4月同助教授 1999年3月辞職。 これはわたしの短大での職務状況を示すと同時に、1995年4月から、わたしの短大での授業がフル展開し始めたことを意味しています。1994年の最初の1年間は、国文学史近・現代編と国文学概論の2コマでしたが、「1995年4月(専任講師)→ 1996年4月(助教授)→ 1999年3月(辞職)」の期間は、国文学史、国文学概論、国文購読、国文演習のすべての授業と卒論指導を担当しています。いずれの授業も、文学作品を通して、近代の謎に迫るという興味と関心のもとに進めていました。 当時の授業状況を紹介した意図は、わたしの授業の盗聴が1995年から本格的に始まり、それが契機となって福岡での出版、情報収奪犯罪が組織的に巨大化していく背景を伝えたかったからです。この情報収奪戦では巨額の資金が動いたはずですが、情報発信者たるわたしには規定の給与以外は一銭も入っていません。 情報収奪戦たけなわの頃、近畿大学に送り主不明の2億円が届けられたとのニュースが報じられたことがありましたが、あれはこの情報代金ではなかったのでしょうか。情報発信者のわたしにはなぜ一銭の報酬も入ってこないのでしょう。 巨額の富を手にしたのは、不法無法に他人の情報を収奪して、各所に配信した手配師たちだけです。柄谷・浅田は、情報手配師としての彼らの地位を恒久化しようと考えました。さらに彼らは、日本国内だけではなく、世界の知をも情報手配師として操作しようと画策しています。 下記の98に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 27 98 11月19日 池田大作の無罪放免と新聞社制覇 昨日は図書館に半日以上こもり、新聞の縮刷版を繰っていました。朝日新聞、読売新聞、産経新聞に次々と池田大作が登場したとの『週刊新潮』の記事を思い出したからです。テロ謀略に大作・清二がかかわっているとの判断に立っている現在では、大作が一般紙にまで堂々と登場するに至ったという事実は、テロ以前に考えていた以上に、はるかに深刻かつ危険な事態です。 思えば大作が一般紙に堂々と登場するという形でなされた、国民的な認知を強要する世論操作への布石は、小泉内閣誕生後間もない時期から打たれていました。 内閣発足後しばらくして、池田大作関連の裁判が相次いで結審し、いずれも無罪放免になっています。一つは、おそらく20年ぐらいつづいていたのではないかと思われる裁判で、権力を傘にきた大作に、強引に奥さんを寝取られた創価学会元幹部が起こしたものです。もう一つは、まだ記憶に新しい、創価学会批判をつづけていた東村山市議謀殺容疑事件です。いずれもほぼ同時期に無罪で結審しています。 新聞で小さくベタ記事で報じられただけですが、これは明らかに政治介入がなされた結果の決着です。おそらく小泉首相も関知しないところでなされた政治介入のはず。当初小泉首相は、創価学会は嫌いだと口にし、その発言が週刊誌に大きな見出しで出ていたからです。 池田大作の身辺をきれいにした上で、大作=創価学会との提携を政治の主流にしようとの思惑が、大作「無罪」の最大の理由だったと思われます。大作と緊密な関係にあった自民党最大派閥の政治家ですら、そこまではやらなかった政治取引が、ある大物を介してひそかに取り交わされた模様です。不倫疑惑で全米環視のもとで、裁きを受けたクリントン大統領とは大違いです。 新聞各紙はこの不可解な連続無罪判決の怪については一切不問に付し、こぞって大作に晴れの舞台を提供したものと思われます。 中でもシリーズで紙面提供をしたという「サンケイ」は、特に気になります。というのは大作・清二は、「サンケイ」乗っ取りを画策しているのではないかと思われるからです。 「産経新聞」を母体に、フジ・サンケイグループという一大総合メディア企業を作り上げた、鹿内信孝氏の息子さんが、40数才という若さで数年前に亡くなられました。鹿内ジュニアの死として話題になりましたが、詳細は不明。 物故者名簿にもなく、新聞年鑑にも記載はなく、死亡年月日も死因も分かりませんが、そう古いことではなかったはず。この犯罪の渦中で亡くなられたことだけは確かですが、不審な死者として取り上げるのをうっかり忘れていました。 先週金曜日に巨人の渡辺恒雄氏が、フジテレビの野球協約違反の件で野球コミッショナー事務局に異議申し立てをしたとのニュースを目にして思い出しました。球団は直接、間接を問わず、他球団株の保持は禁じられているそうですが、フジはこの規約に違反して横浜球団のオーナーになったにもかかわらず、ヤクルト株も20%保持したままだという。 西武は球団を買収するに際しては他球団の株はすべて売ったという。西武も怒っているとの渡辺氏の談話が紹介されていました。この話を目にして、鹿内ジュニア(名前を失念)の死を思い出した次第です。 下記の97に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 26 97 11月16日 ペシャワ-ル会と創価学会 「74 10月18日」のレポートで、ペシャワ−ル会が創立17年になると書きましたが、これは事実ではありません。倍近くサバを読んでいます。同会のHP(名古屋をはじめ各地に同会支部が結成されていたようですが、なぜか福岡以外のサイトはすべて閉鎖。)に記載されていた数字をそのまま使ったのですが、そんなに経つはずはないとは思いながらも、数字のもつ意味の重さに気づかずにきました。 しかしながらやはり気になって昨夜、中村哲氏の著書の発行日を調べたところ、石風社から出た最初の著書『ダラエ・ヌールへの道』は1993年発行となっています。書協のサイトで確認したものです。念のため、bk1とamazon.comのサイトでも検索したところ、なぜか両サイトとも同書は未登録。他の中村氏の著書は登録されているにもかかわらず、同書だけは検索不可です。 同書の発行日は、ペシャワ−ルの会が看板に記した17年という数字のウソを証明するものですが、bk1もamazon.comも、この証拠物件隠滅に手を貸しているのかどうかとても気になります。 ISBNを使ったメタ検索で、他のサイトも一挙検索しようと思ったのですが、なぜか書協登録の書誌データにもISBNは登録されていません。不可解です。発行日も1993年とあるだけで月日は不明。これも不可解です。 河合塾から中村氏の講演を収録した冊子が1990年に出ています。これはすぐに検索できましたが、石風社の本はこれより前に出ていますので、1993年というのも怪しい数字です。図書館でも調べてみましたが、蔵書目録にはなく確認できません。同書はどうやら、人目に触れる場所から隔離されているようです。わたしの告発する犯罪の証拠隠滅作戦なのでしょう。 いずれにしろ、同書発行後にペシャワ−ル会が発足したので、17年というのは明らかにウソです。また当初中村氏は、バングラディシュなどでライ治療に当っていたので、アフガン周辺に活動拠点を移したのも同会発足後でしょう。というよりも、そのために同会が作られたと見るのが妥当のようです。 同会が発足し、アフガンへ人を送りはじめた時期は1990年前後。ソ連のアフガン進攻による紛争が終結し、アフガン、パキスタン、アメリカ、ソ連の4カ国が和平協定を結び、10年近くつづいた紛争に決着がついた後のことです。 アフガンはこの後も内戦につぐ内戦がつづきましたが、1994年夏、タリバンが急速に勢力を拡大、1998年9月にはほぼ全土を制圧。すでに1996年にはアフガンの実質政権として、強権的手法で治安を維持。混乱を収拾するには、時には強権的手法も有効であるのは事実ですが、知識人の抹殺、テレビ、新聞など報道が一切禁止されるという抑圧体制が、以降政権崩壊まで5年もつづきました。 遅ればせながら発足時期にこだわるのは、ペシャワ−ル会とタリバン政権誕生に、密接な関連がありそうだとの疑いがさらに強まったからからです。 問題の著書が隠され、同会発足時期も偽造。この犯罪では次々とウソが捏造されていますが、今回のウソには、米同時テロの発端となるものが隠されています。そもそも同会の発足には当時からすでに、何か唐突な感じを抱かされていました。石風社の福元もこの会には関与していますが、彼が中心になって設立に奔走したのではなく、ある日忽然と誕生したとの奇妙な印象のものでした。いわばプロが手際よく会を作ったとの印象です。当時はその奇妙さだけが印象に残り、背後に何があるのかは想像もつきませんでした。 今から振り返ると、この時すでに創価学会は中村医師を標的にしていたのだと思います。ということは、創価学会はわたしが柄谷に会う以前から、福岡攻略の機会を狙っていたということになります。福岡は公明党の委員長神崎氏の地元ですが、その存在感のあまりの薄さに、当時は創価学会=公明党に対する警戒感は毛ほども感じていませんでした。しかしよくよく考えれば、まったく同様の理由で、創価学会は福岡攻略の機会を狙っていたのでしょう。組織としては当然すぎるほど当然のことなのでしょうが、散々な目にあってはじめて理解できました。 とするならば、福岡は相当早い時期から危険区域とみなされるべき状況にあったいえます。1994年6月に肝臓がんで死去した、葦書房の社長久本三多の死も、不審な死者の列に加えたいと思います。 一方、福元や中村氏は有能な人材として、彼らに協力をつづけた模様。 テロ後早々に帰国した中村氏の旬の原稿が、12月号の各誌を飾っています。『潮』『世界』『中央公論』に掲載された同氏の原稿は、同氏の9月の帰国が、永田町と創価学会と大出版社を訪問するためのものであったことを物語っています。『中央公論』にはなぜか「アフガン17年」という副題がついています。いずれも広告を拝見したのみ。 (中村哲氏の『ダラエヌールへの道』に関して一部訂正します。同書は、石風社から刊行された中村哲氏の2番目の著書でした。タイトルは失念しましたが、同氏の最初の著書は、西日本新聞に連載されたものをもとに石風社から出版されたものです。同書に関する記述は、すべて最初の著書に対するものです。2002/8/31) 下記の96に続く ※ 101 11月22日の記事と合せてお読みください。 |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 25 96 11月15日 イスラム教社会主義 昨日の朝日新聞に、内橋克人氏のテロ後の世界経済に関するインタビューが掲載されていました。ボンヤリ読んでいると、何か新しい方向性を示した内容のように思えますが、よくよく読むと非常に矛盾に満ちた内容です。基本は、大作・清二の支援を受け、柄谷・浅田が運動として始めたNAMに重なるものですが、日本の利権屋文化人集団がなぜイスラム過激派を利用して反米テロを激化させてきたのか、その意図をはからずも語ったものとなっています。 内橋氏は、資本主義のアンチテーゼとしてイスラムの経済活動をプラスのものとして評価しています。「人もカネも神が与えたもの」とするイスラムでは、労働の対価以上のものは受け取らず、金融機関にも利子の概念がないという点を非常にユートピア的に評価しているわけです。柄谷・浅田が必死で広めようとしている地域通貨も、同様の視点で評価しています。 ではイスラムでは富が平等に配分され、かつての社会主義国でさえ不可能だった、万民平等の社会が実現しているのかといえば、否。まったく逆の現象が万民を襲っています。欧米の圧力以外の、国内事情に起因するものです。富者が貧者に喜捨するのを、イスラムの美風のように賛美する人も跡を絶ちませんが、イスラムではそれほど貧富の差が異常に大きいということです。自由な交易、商売によって利潤を得ることは、個々人が自立した経済活動をつづけるための基本の基本。銀行業も同様です。 以前、法政大学教授の田中優子氏が、明らかに柄谷の影響を受けたと思われる、江戸経済に関するユートピア論を日経新聞に書いていました。江戸時代は、利潤を生み出さないがゆえに、無駄のない循環経済が行なわれていたというような内容です。もちろんプラスの評価としての江戸再考です。江戸文化に対する考察では、非常に斬新な論を展開していた田中氏も、 経済については迷走気味です。田中氏が躍動的に論じた江戸文化は、ほかならぬ、利潤を生み出す資本主義の萌芽ともいうべき商業の隆盛と、鎖国政策の隙間を縫って流入してきた、海外の文物がもたらしたものでした。田中氏の専門分野である文化と切り離して経済を論じ、しかも特定の方向づけを強制されて江戸経済を見た結果、ユートピアといよりも、浅薄な江戸経済論になってしまったようです。 いうまでもなく、田中氏の江戸賛美と内橋氏のイスラム賛美とは根は同じです。共に反資本主義的ムードと理論を生み出す装置として使われていますが、いうまでもなく、イスラム賛美の方が反資本主義の装置としてははるかに過激です。 しかしイスラム体制はある一点を除けば、社会主義体制の変種にすぎません。その一点とは、絶対的な神の存在ですが、事実として社会主義体制は崩壊し、現実的には有効性を持ちえません。それに代わる代替物として浮上してきたのが「イスラム」です。 冷戦構造の崩壊がもたらした必然の結果ですが、日本の利権屋文化集団は、この「必然」を彼らの世界制覇実現のための原動力として利用しようとしたのです。そのために彼らは、イスラム的体制賛美の風潮、思潮を広めてきました。 その思潮を非常に分かりやすく語ったのが、昨日の内橋氏の談話です。彼らの目指すイスラム的体制は社会主義体制の変種にしかすぎませんが、かつての社会主義体制との決定的な違いは、絶対的な神の名においてすべてを統治しうる体制であるという点です。 この違いは決定的です。万能の神の前では、おそらくスターリンやヒットラーでさえ無力でしょう。つまり神の名による統治とは、スターリンやヒットラーを超える、絶対的な独裁体制をも可能にするということです。もちろん宗教として導入するのではなく、非在の神と同等の力を持つ絶対的なシステムを構築することを狙っています。 内橋氏が連中の狙いを承知の上で、柄谷・浅田を援護するような論を展開しているのかどうかは分かりませんが、内橋氏の口を借りて柄谷・浅田の動きの「正当性」が語られるに至ったのは、米同時テロの結果にほかなりません。 いいかえるならば、この衝撃的なテロによる襲撃が起こらなければ、柄谷・浅田のNAMの実践と称する動きなど、ほとんど顧みられることなどなかったはず。反グローバルの動きとしての、LETS(相互扶助的な貨幣制度)についても同様です。テロのおかげで、彼らの運動がささやかながら人目を引いたのですが、テロという暴力を使わずには有効性を証明できない理論は理論とはいえません。 前回紹介しましたように、彼らの前には有能な人材の死が累々とつづいています。そのいずれもが仮に避けがたい死であったにせよ、死という自然の「暴力」に助けられ、彼らの地位は浮上したのです。 彼らのにわかじこみの理論も、テロという暴力によって辛うじて一瞬浮上しました。 柄谷・浅田は大作・清二の援護を受けながら、この一瞬の浮上のために、米同時テロ遂行工作にひそかに加担してきたのです。 下記の95に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 24 95 11月14日 怪死者4 実は、冥王まさ子氏と似たような状況で意識不明に陥り、緊急入院した人物がわたしの身近にもいました。無名人であり、冥王氏とは時期も少しずれますが、 西日本新聞文化部のデスクです。脳の動脈瘤破裂での緊急入院でした。わたしが「西日本」に書いた原稿の大半は、このデスクを介したものです。1993年に書いた、原型「柄谷論」(『柄谷行人論』所収の「柄谷論」の元になったもの)も、このデスクに最初に見せています。幸い奇跡的に回復され、現在は別の部署で仕事をつづけておられます。 また同じく無名の人ですが、気になる死者がもう一人います。 1993年8月、新宮で開かれた「中上健次シンポジウム」で会った映画青年です。シンポジウムの翌日、東京から車で来ていた二人連れの青年に、中上氏のお墓と新宮周辺を案内してもらったのですが、そのお一人が、中上氏の映画撮影を手伝っていた映画青年でした。中上氏の死後は、自分で中上に関する映画を作りたいと抱負を語っていました。 柄谷の誘いを受けてシンポジウムに参加したそうですが、映画づくりの下見も兼ねているとのことでした。お二人からは名前も住所も教えてもらいましたが、それを記した手帳が手許になく、お名前は思い出せません。それどころか、彼らに会ったことも忘れていました。思い出したのはつい最近のことです。相次ぐ不審な死者への連想がきっかけでした。実はこの映画青年も、数年前に肝臓ガンで亡くなったとのこと、人づてに聞きました。 わたしは彼らに会った後、映画青年のことを柄谷に手紙で知らせています。当然、浅田をはじめファシズム連も読んでいます。中上関連の映像、映画が柄谷・浅田や堤清二のプロジュースにより、別人の手で作られ、公開されていますが、故人となった映画青年の、映像的「遺産」はどうなったのか、とても気になるところです。 以降はほぼ年代順に、気になる死者ないしは事故の後を追ううことにします。 ●1994年8月2日 ビートたけし、バイク激突事故。 ●1995年11月4日 ジル・ドゥルーズ 自殺。哲学 ●1996年2月12日 司馬遼太郎、腹部大動脈破裂、72才。国民的作家司馬氏は東大阪市随一の著名人。同氏の死によって、東大阪市にある近畿大学教授柄谷の地位は相対的にアップ ●1996年8月2日 吉本隆明、海難事故に遭遇。意識不明に陥るも奇跡的に回復。1994年8月2日から毎年新宮で開かれる「中上健次シンポジウム」開催時期の前後に事故に遭っています。偶然なのか否か? 1994年にはすでに、柄谷・浅田はたけし氏が株主であった太田出版に乗り込んでいます(ビートたけし氏の事故年の間違いについ最近気づきました。訂正します。) 吉本、たけし両氏の事故には共通点があるとの強い印象があり、同じ年たと勘違いしていましたが、共通点は年ではなく月日でした) ●1998年1月6日 安江良介 岩波書店相談役、呼吸不全、62才。97年に岩波書店社長を退き、相談役に就任して1年ほど後の死です。党派を問わず、政治家からの信望も篤く、自民党議員も助言を受けたといわれています。柄谷・浅田・堤清二は、安江氏の後釜を狙ったのでしょうが、利権屋文化人集団の政治介入は、日本のみならず世界をも悲惨な状況に引きずりこみました。 ●1998年1月27日 景山民夫、焼死、50才。直木賞作家であり、幸福の科学の会員。91年には講談社の『フライデー』の不当記事に抗議して、「フライデー全国被害者の会会長就任。景山氏は、マンションの室内だけが燃えるという、マンション火事としては異例、奇妙な状況下で焼死しています。同氏の住まいがあった世田谷には、その後、創価学会が勢力を伸ばしています。今回公明党がゴリ押ししようとした中選挙区制一部復活地域には、世田谷も含まれていました。94年事故に遭ったビートたけし氏も、事故前に『フライデー』の記事に抗議して、同誌編集部に乗り込んでいます。 ●1998年6月12日 新渡辺浩子氏 心不全 62才。国立劇場芸術監督・?月・太田出版社社長交替。 ●1999年7月21日 江藤淳、自殺、66才。東京都現代美術館館長就任を前に自殺は、文壇内での柄谷一派の独裁化を強めたばかりではなく、現代美術界の勢力図にも多大な影響を与えています。脳梗塞の後遺症に悩んでいた ●1999年8月2日 後藤明生、肺がん、67才。近畿大学理事長直々の懇請を受けて、文芸学部創設に尽力した文芸学部部長後藤氏の死は、同学部特任教授柄谷の地位を強力にアップ。近大に医学部があるのを最近知りましたが、後藤氏は近大病院で治療を受けていたのかどうか、気になるところです。江藤、後藤両氏の死は、この後につづく、小渕、梶山両氏の死とまさにパラレルの関係にあります。 ●2000年5月14日 小渕恵三、脳梗塞、62才。 ●2000年6月6日 梶山静六、閉塞性黄疸 74才。 ●2000年9月20日 徳間康快、肝不全、78才。徳間書店社長。同氏は東京都写真美術館館長就任後早々から斬新なアイディアで同美術館の面目を一新。注目を集めていた矢先の急逝です。映像関係者ばかりではなく、文化業界全般に与える影響大なる死です。以下は先述しましたので、略。 ●2001年5月17日 団伊く磨氏、心臓発作 新国立劇場オープン直前に、作曲家 下記の94に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 23 94 11月13日 怪死者3 ●新国立劇場では1998年6月に、渡辺浩子芸術監督が心不全で急逝されています。97年のオープンからわずか1年。1年前の団氏に続いて、初代芸術監督も「異変」に襲われました。単なる偶然でしょうか ●演劇関係者では2000年12月に、如月小春氏が、立教大学で講義中にクモ膜下出血で倒れられ、急逝されました。 2000年は、政界でも死者が相次ぎました。 ●2000年4月2日に小渕首相 ●梶山静六氏が2000年6月6日に亡くなっています。1月に遭った交通事故 梶山氏は問題発言もありましたが、自民党議員の中では珍しく、目先の利権にだけ固執したり、振り回されない政治家だったように思われます。ことにここ数年の梶山氏の政治行動を追うならば、自民党と日本の政治に心底危機を抱いておられたことがうかがえます。存命ならば、98年の総裁選での党内支持数からみても、小泉首相に代わって政治の舵取りをしていたかもしれません。少なくとも、小泉首相の強力な支援者になっていたことは確かです。 強い信念、明確な理念の持ち主は、大作・清二のもっとも忌み嫌う人物です。彼らの思いのままに操作できないからです。 梶山氏の死去した翌7日に、各紙政治欄に追悼の記事が掲載されていましたが、「毎日」と「読売」には、追悼記事の真下に大作本の3段広告がデカデカと掲載されていました。 広告量の多い「朝日」や「日経」には急な割り込みはできなかったのか、それとも偶然なのか。かりに偶然だとしても、この日の紙面構成は、大作と梶山氏の関係と、梶山氏の不可解な死の真相とを、問わず語りに語ったものだといえそうです。 ●茨城の農道では、1,2ヶ月前にも、Jリーグの柱谷選手も追突事故 |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 22 93 11月12日 怪死者2 ●今月7日、中国の北京でソニー取締役会議長の大賀典雄氏が、指揮の途中で倒れられました。幸い会場に医師がいて適切な応急処置がとられ、病院に搬送。軽い追クモ膜下出血 5月17日、同じく中国で亡くなられた團 伊玖磨氏のことを思い出さずにはいられませんでした。團氏は、日中文化交流団の団長として訪中中、ホテルで急に体の不調に襲われ急死されました。病名は心不全 実は團 伊玖磨氏はすでに、似たような危険を体験しておられます。97年、新国立劇場オープン時のことです。こけら落し公演のために團 伊玖磨氏が作曲された「建 TAKERU」の上演直前に心臓発作で倒れられています。この時は奇跡的に回復され、今年5月急逝されるまで精力的に活動をつづけておられました。 團 伊玖磨氏は5月17日の未明、午前3時前に亡くなられたのですが、なぜか「日経」だけは、同日17日の朝刊の一面と社会面に、團 伊玖磨氏訃報の記事を載せています。 他紙はすべて夕刊一面と社会面です。死亡時刻からするならば、朝刊掲載は物理的に不可能です。どう考えても「日経」は、死亡が公表される以前の危篤状態の時点、おそらくホテルでの異変発生時点には、団氏の死亡予測を含むニュースを入手していたはずです。 そうでなければ、朝刊掲載は不可能だからです。日本国内ではなく、中国各地を訪問途中のホテルでの異変です。よほどの特別のルートがなければ入手不可能なニュースです。 このニュースソースと関係あるのかないのか、 翌々日の「日経」19日の朝刊文化欄には、堤清二が辻井喬の名前で、團 伊玖磨氏の文を書いています。もともと「日経」は堤清二=辻井喬とは特別の関係にあり、不思議はないとはいうものの、他紙は音楽関係の専門家が執筆。18日にそれぞれが、余人の及ばぬ業績を残した團氏をしのびつつ、追悼の思いをこめた文章を書いています。 読み比べてみましたが、堤清二=辻井喬は、占有した紙面スペースこそ一番大でしたが、内容は一番乏しくカスカスしたものでした。大賀氏の「事故」がきっかけで、当時の新聞を調べた結果分かったことです。團氏の残した業績などにはまったく触れていない、堤清二の團氏追悼文が何を意味するのか。 團 伊玖磨氏、大賀典雄両氏の、文化、経済両面にわたる業績を具体的に追うならば、堤清二の追悼文の裏には、彼らのあらたな犯意が隠されていたことに気づかされます。 團氏は作曲家としては海外にもその名が知られていますが、実は日中文化交流にも、国交回復以前から長年にわたって尽力されていたそうです。 日中交流に関しては、田中元首相以上の貢献者であり、中国での人脈も政治関係者だけではなく、文化すべての分野にわたって、深く、広く築かれています。 その團氏が、日中交流のさなか、中国で突然死されたのです。 大賀典雄氏は ●ソニー取締役会議長 ●経団連副会長(行革推進委員長) ●東京フィルハーモニー交響楽団会長兼理事長 ●日本知的財産協会会長 という要職を兼務、経営者としての能力のみならず、音楽家としての才能もつとに有名です。文化人経営者として名を売っている堤清二=辻井喬も、とうてい太刀打ちできない人物です。その大賀氏が、中国で自ら指揮をとっている最中に難に遭われました。 実は中国を舞台に、ソニーと西武百貨店はメディア関連部門で共同出資者になっています。1990年の北京アジア大会をきっかけに出来たもので、2008年までという時限つきで、NHKが中心になって設立した「日中メディア交流センター」です。 ソニーや電通などと共に、西武も出資。中国でのメディア関連事業を推進することが目的の会社ですが、8年まで待たず来年2月に清算することになったらしい。 NHKの肥大化路線が、中国にも及び、ホテル事業にまで進出。その肥大化路線への批判を受けた清算とのこと。 NHKは料金徴収の資格はないと言わねばなりませんが、ホテル事業進出まで目論んでいたという、NHKの異様な肥大化路線には、西武のそれとない示唆があったものと思われます。他社を拡大路線に走らせ、破綻したところでタダでかっさらう。西武の昨今の拡大策です。 潤沢な資金に富むNHKは、連中の格好の標的になっているはずです。と同時に、中国はNHK以上の標的にされているのはいうまでもありません。 むしろNHKを利用して中国制覇を進めようと考えていたはずです。メディアを制覇すれば、政治、文化、経済を一気に攻略できる。日本での成功を中国でも応用しようと考えても不思議はありません。広さも経済格差も大きい中国では、日本ほど簡単ではないかもしれませんが、攻略法の一つとしては有効です。 そのためには、中国要人との太いパイプをもつ大物日本人、特に文化界にも人脈をもつ大物日本人は、大作・清二にとってはもっとも目障りです。 団氏の死で、彼らの行く手を阻む巨岩の一つが崩れました。 つづいて大賀氏です。幸い大事に至らずにすみましたが、偶然というにはあまりにも重大な結果を孕む「偶然」です。 大賀氏が難に遭われた翌日(8日)に、NHKの海老沢会長から発表された「メディア交流センター」解消が、どのような意味をもつのかは分かりませんが、悪しき日本人の陰謀排除につながるならば、中国のみならず、日本と世界のためにも幸いです。
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●Home 文化ファシズムと米同時テロ 21 92 11月9日 怪死者1 アメリカの炭疽菌はアメリカ国内で製造されたらしいとの発表が、先日FBIから出されていました。それが事実ならば、わたしが危惧する日本国内での不自然な死の符牒=ふちょう=印とは、直接関係ないのかもしれません。 しかし日本で次々起こる、未遂も含む要人の不自然な死の連続は、米同時テロにつながる犯罪者集団との関連を疑わずにはおれません。 ●10月1日に古今亭志ん朝さんが、肝臓ガン それを意識したのでしょうが、今年の「桂文珍賞」はまたまた賞名を変更。以前の長い名前に戻しています。「桂文珍」の名前は、当然ズバリ名よりは目立たなくなっています。 これほどコロコロ名前を変える賞など、他人の作の審査をする資格はありません。しかしなお平然と名前を変えてまで賞を存続させるのは、落語界をも配下に置こうとの狙いがあってのことでしょう。 否、落語界のみならず、上方=西が江戸=東を制覇せんとの、大目的が背後に隠されています。というよりも、各界に実力者がひしめく東京よりも大阪攻略が簡単だというのが本音でしょう。 地方では、東京の著名人という肩書きは万能の力を発揮するということを、福岡で学んだ彼らの基本戦略です。 しかし上方でも、必ずしも文珍さんがナンバーワンだとはいえないはず。拙著でもすでに述べていますが、文珍さんが選ばれたのは、関西大学講師であるという肩書きゆえにです。大学業界制覇も、同時に促進できるからです。一石二鳥の効用です。上方のお笑いタレントに、大学や大学院に入る人が多いのも、この路線とは無関係ではないはずです。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 とはいえ、インテリタレントゆえに排除される落語家もいました。桂芝雀さんです。芝雀さんは英語もペラペラのインテリ落語家として有名でした。流暢な英語を武器に、落語家としてアメリカにも進出。大成功を収めたとの記事を以前目にしたことがありますが、彼の自作の英語落語は、英語の教科書にも採用されたそうです。 創作落語で外国人の笑いをとり、教科書にも採用される。単に技術的な英語の能力だけではなく、創造性に富んだその才能がしのばれます。泣かせるのは簡単ですが、笑いをとるのは難しい。ましてや、言葉だけで外国人の笑いをとるのは並大抵ではないはずです。 経歴からしても芝雀さんの才能は、東西の別を越えて抜きん出ていたのは間違いなさそうです。抜きん出た才能がしばしばそうであるように、芝雀さんも既成の枠に縛られるのを嫌い、そこから飛び出してしまいました。 ●1994年、上方落語協会を脱退、従来の落語の枠を越えた創造的な舞台を展開しはじめます。ところが1997年頃からうつ病にかかり、入退院をくりかえし、1999年3月、首吊り自殺をはかる。意識不明のまま4月に死去。 芝雀さんの自死までの経歴を、他人事とは思えぬ気持ちで読みました。わたしもしばしば精神異常ではないかといわれ、精神科にかかることを勧められていたからです。 もし精神病院にかかっていたならば、精神異常者との烙印を押されたまま、同じような末路をたどっていたかもしれません。福岡在住中、一時的にですが、柄谷に対する疑惑を抱いたことがあり、原稿を返してほしいと電話をしたことがあります。 その時の柄谷の返事は、「何を訳の分からないことを言ってんだ、「キチガイ」でした。 内からも外からも精神異常者だと思われているらしいということが分かり、正常であることを証明せずには死ぬに死ねないとの思いが、今日までの最大のの支えでした。わたしと家族の名誉のためにです。 わたしの場合は、さまざまな経験から最後の罠にまでは、嵌らずにすみましたが、人間の精神がいかに脆いものであるのかは身を持って思い知らされています。文化犯罪者どもは、肉体的な抹殺だけではなく、容赦なく精神をも破壊していきます。 芝雀さんが鬱にかかったといわれる理由はおそらく、単独行への圧力があったからではないかと思われます。彼らは配下に治まらない人間に対しては、組織的な力を駆使してさまざまな圧力をかけてきます。 文化全般の堤清二=辻井喬、創価学会、笑いの王国吉本興業。これらの包囲網の中で、単独行をつづけるのは不可能でしょう。 芝雀さんの精神に変調が生じた94年は、大作・清二が文化業界支配へ乗り出した時期にあたります。それまでマイナーだった創価学会と文珍さんとの関係や、文珍賞の浮上だけでも相当な圧力になっただろうと思われます。 大作・清二(柄谷・浅田)は、個人の才能よりも、彼らの支配のしやすさを最優先した人材を選びます。その手口の型だけは福岡でさんざん体験ずみですので、芝雀という異能が消されていく過程は手にとるように分かります。 確か去年、吉本も、ニューヨークにお笑い進出したはずです。単独で仕事をする有能な人材は排除され、集団主義が横行しています。 西の芝雀、東の志ん朝。二人の死は落語界における文珍さんの地位をいやでも「物理的」におしあげます。 折りも折り、『東京人』11月号は、志ん朝さんを含む江戸落語界の総特集を組んでいました。おそらくこの特集で、江戸落語界の多彩な才能と勢いのあるところをアピールするはずだったと思われますが、主役の一人、志ん朝さんの死は、華やかな誌面に黒い覆いをかけてしまいました。 下記の91に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 20 91 11月8日 中村哲氏と文化犯罪者 中村哲氏が『潮』12月号の広告で、池田大作と名を連ねて登場していましたが、ひそかに続いていた両者の関係が、同時テロを機に公開されたというところでしょう。 テロ後、間もない17日に同氏は帰国し、26日には衆議院会館で現地報告会を開いています。東京で開かれた報告会は、永田町のみです。NPOやNGOなどという言葉さえなかった時代からの同氏の活動を知る者にとっては、隔世の感ありというのが正直な感想です。 もちろん同氏の活動は、国の支援を受けるべき質のものだとは思いますが、東京では訴えるべき相手は政治家や官僚だけだとでもいいたげな場所の設定には、ペシャワ−ルの会の不透明さを感じずにはおれません。 もちろん、公明党や周辺議員、官僚たちとの太いパイプがすでに出来上がっていることを意味しているわけです。同氏はその後間もなくアフガンに戻ったようですが、新聞報道によると、ほどなく10月はじめに再び帰国。今度は九州地区などでも講演会を開いているらしい。昨日紹介した河合塾もその一つです。 これらの講演の大半は、日本ジャーナリスト協会が後援しています。この協会の会長は確か、小泉首相の「ブレーン」の一人らしい猪瀬直樹氏です。同協会には昨年出した『柄谷行人論』は献本しましたが、わたしのジャーナリズム批判に応えてくれるどころか、逆の圧力が増すばかり。ですから今年の『文化ファシズム』は献本していません。猪瀬氏は『潮』賞の審査委員。中村氏を支援しても何の不思議もありません。 こうした人的ネットワークは偶然ではなく、当然必然です。9月26日、永田町で中村氏が講演した同日、橋本龍太郎氏のキューバと中東訪問が、橋本派幹部により発表されました。世界を震撼させた同時テロの発信源たる中東と、反米を国是とするキューバに、一派閥が政府決定とは無関係に、同派の幹部派遣を決定したわけです。政府は、高村元外相を特使として中東に派遣しています。これはどう考えても奇妙です。 橋本氏が、公然と政府のテロ対応に反旗を翻して、キューバ、中東を訪問したというのなら、まだ話は分かりやすいのですが、何やら人目をしのぶ雰囲気です。 公表した以上、公務としての海外出張だったのでしょう。しかし政府決定ではないことは明らかです。小泉政権とは別に、もう一つの蔭の内閣が存在するかのような動きです。 前政権は森内閣の背後にピタリと重なるようにして、池田大作が蔭の内閣として君臨していました。 しかし小泉内閣では、ややずれた形で、蔭の内閣が機能しているようです。公明党=創価学会を抱え込んでいる以上、小泉内閣も大作の影響下から脱することは不可能です。堤清二も当然、大作と連携しつつ、小泉内閣にさまざまな工作をしかけています。 橋本氏のキューバ、中東訪問も、大作・清二の「政治」判断によるものでしょう。いうまでもなく、大作・清二は中東の石油利権を狙っています。 おそらく、中村哲氏のホットな現場報告を受けた結果、派遣が決まったものと思われます。目的はもちろん、彼らに有利に中東への影響力を行使するためです。 中村氏も当初考えていた以上に、創価学会との結びつきは強いようです。ペシャワ−ルの会では、900人あまりもの人が現地でボランティアに携わっているそうですが、延べ人数だとしても、すごい数の日本人がアフガン周辺に滞在していることになります。しかもかの地の人々は、日本のボランティアに頼らずには生活できない状況におかれています。 結果として、いい意味でも、悪い意味でも、日本人が彼らを指導するような立場に立たざるをえません。つまり日本人ボランティアは、彼らに対して非常な影響力を行使しうる立場にあるということです。 その日本人を代表する中村氏が、反西洋=反近代という立場を露骨に示されていることは、アフガン周辺の人々やタリバンにも大変な影響を与えているはずです。独裁的権力志向者にとって、もっとも忌むべきものは、近代的な合理主義です。 独裁的な権力は、理不尽な暴力性を基盤にしたものです。軍事的なものであれ、精神的なものであれ、理不尽な暴力なしには独裁は生まれません。権力の維持も不可能です。独裁者は、どんな理不尽さにも異を唱えない盲目者を求めます。 下記の90に続く |
当ページ掲載の「文化ファッシズム」の著者は、私たちと同じ集団ストーカー被害者と思われます。
経済的に追い込まれているようです。100%善意で著者を側面から支援させて頂きます。
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●Home 文化ファシズムと米同時テロ 19 90 11月7日 「jmm」岩田健太郎氏の不可解なレポート 昨日のつづきを書くつもりでしたが、昨日配信されてきた「jmm」のメールマガジンに、またもや不自然な「変調」が見られ、違和感禁じがたく、まずこの問題に触れたいと思います。 定期寄稿者の一人である岩田健太郎氏のメールです。同氏はニューヨーク市べスイスラエルメディカルセンター感染症科に勤める医師ですが、炭疽菌テロが拡がる中、被害者を含む関係者の対応などについて冷静なレポートを発信、英語の読めないわたしには、現場からの貴重なライブレポートの一つでした。 ところが昨日届いたメールは、現場からの貴重なレポートというよりも、ある政治的メッセージを濃厚に感じさせるものでした。岩田氏の身の上にいったい何が起こったのか、と思わずにはいられない「変調」ぶりです。 アメリカの病院は外国人医師によって支えられており、そのほとんどが低賃金の研修医が占めているという、アメリカ医療行政批判が今回のメールのテーマです。しかしこの事実は、アメリカ医療の批判というよりも、アメリカがいかに外国人にも門戸を広く開けているのかを示しており、アメリカの開放性が医療の分野にまで浸透していることを知り、わたしはむしろそのことに驚きを覚えたほどです。 日本にも研修医制度はありますが、確か無給で働かされていたはず。アルバイトで生活費を稼がざるをえない無給の研修医制度が問題になったことがありましたが、改善されたのでしょうか。 日本の無給を問題にせずに、アメリカの低賃金労働を余儀なくされる研修医批判だけをするのは、明らかにタメにする批判だといわざるをえません。日本の場合、無給で働かされる研修医問題だけではなく、医療現場は外国人に開放されていません。これは医療に限らず、大学をはじめ各所に共通した問題ですが、大学医学部の医局制を頂点にした医療の閉鎖性は、外国人どころか、日本人医師に対してさえ多大な束縛を強いています。 岩田氏がアメリカの病院で働いているのは、日本よりもアメリカの方が快適に仕事ができるからでしょう。日本の平均賃金はアメリカ以上ですが、にもかかわらず、岩田氏以外にも、日本の医師が何人も働いているらしい。アメリカに強制連行されて、むりやり働かされているのですかと聞きたくなるような岩田氏のメールですが、もちろん答は否、快適だからアメリカで働いているわけです。他の外国人医師も同様でしょう。 何やら唐突な岩田氏の「変調」ですが、きっかけのようなものは文面からもうかがえます。所用で日本に帰国していた日本人研修医が、再入国に際してアメリカ領事館から厳しいチェックを受け、足止めを食っていることに対する怒りが、同氏の「反米」シフトへの理由のようです。 以前はすんなり下りたビザが厳しいチェックに遭っていることに岩田氏は怒りを露わにしていますが、テロ前とテロ後にビザ発行基準に変化が生じるのは、当然すぎるほど当然のこと。 岩田氏にとっては、緊急事態に冷静に対処すべき医師としての立場より、日本人医師への仲間意識の方が重要なのでしょうか。こういう医師に医療現場を任せ、給与を支払わざるを得ないアメリカに同情を禁じえません。彼のような人物が増えるならば、アメリカで外国人排斥運動が起こったとしても、何の不思議もありません。 第一岩田氏は怒りを向ける相手を間違えています。非常にオープンであったアメリカが門戸を狭めざるをえなくなった原因は、いうまでもなく同時多発テロです。この当たり前すぎる事実から目をそむけるべきではありません。 テロの結果、グローバリズムの終焉やアメリカ的資本主義の脆弱さが盛んに論議されていますが、あのような誰もが想定しえないようなテロによる奇襲攻撃に遭って、動揺しない社会やシステムはこの世には存在しえません。 アメリカや世界が動揺し、混乱するのは当然すぎるほど当然のことです。テロ実行犯たちは、アメリカに動揺を与えるという年来の目的はひとまず達成できたわけですが、ではその先に何が到来するのかといえば、何も見えてきません。このままでは、経済不況を背景にした混乱が増すだけだという暗い予測だけが残ります。 この暗い予測の中で、今わたしたちがなすべきことは、建設的な解決策を探ることです。わたしはイスラム過激派の闘争にはやむにやまれぬ背景があると肯定していますが、反米テロでは何の解決にも到らないことは事実が証明しています。 自らの命を肉弾にしてまで反米闘争をするエネルギーを、もっと建設的な事業に向けるべきです。自爆テロなど、当の実行者にとってこそもっとも野蛮で残忍な闘争手法です。これは近代主義的な基準による批判ではなく、イスラム教そのものも、自爆テロは認めていないといわれています。 ことに最近の自爆テロには、前途有為な学徒がその「犠牲」になっているそうです。イスラム世界にとってこれほどの損失はないはずです。せっかく身に付けた学問を社会に還元する間もなく、自爆テロに散る。いったい誰のためになっているのでしょうか。この問題に関連して気になるのが、ペシャワ−ルの会の中村医師の話です。 ネット版朝日新聞の池澤夏樹氏のコラムで紹介されていたものですが、中村氏が10月に河合塾福岡校で講演したものをそのまま再録したものです。中村氏の河合塾福岡校での講演は、ずい分前から恒例になっているものですが、非常に気になる個所がありました。 活動歴が長いせいか、中村氏の話には偏狭な現場主義が濃厚に漂っています。アフガンには近代的な学校はなく、寺子屋のようなものがあるだけだという。 中村氏は近代的な学校は不要。理由は、かつての日本がその悪例で、学問を身に付けると皆村を捨てて出ていくからだと語っています。今のアフガンと日本とを比べて、日本の方が不幸で、アフガンの方が幸福だとでも、中村氏は本気で思っているのでしょうか。 一方で、村には医者はなく、中村氏らの診療を受けようとする患者が、順番を競って発砲する騒ぎまで起こっているというエピソードが紹介されています。それほど日本人医師が現地の人々に待たれ、頼られているという話の一環として紹介されているのですが、なんという残酷な光景かと思わずにはいられません。中村氏はこれほど鈍感な人物だったのかと、唖然としてしまいました。 患者が発砲するというのは、村に医者がいなということの悲惨さの象徴以外の何ものでありません。その結果日本人医師に頼らざるをえないのですが、その状態が中村氏が通いはじめてからでも17年はつづいているわけです。 村に医者がいないのは、近代的な教育機関がないからです。国連が巨額の資金を投じて学校建設を準備しはじめたそうですが、現地の反対に遭い、頓挫したとのこと。中村氏はそれを当然のこととして肯定しています。 近代的な学校が不要ということならば、医者も不要だということです。しかし、現に村人たちは競うようにして日本人医師の診療を待っています。 彼らはおそらくなぜ自前の医者も病院ももてないのか、その理由は知らないのでしょう。中村氏が、コーランの教えを中心にした寺子屋教育で十分だということは、彼らにそれを教える機会を与える必要はないといってるようなものです。 自己犠牲的な活動に献身しておられる中村氏には、今日までずっと敬意を払ってきましたが、いつの間にやら、独裁的為政者のような感覚を身につけてしまわれたらしい。 その結果彼らは、この先も他国の医師をはじめ、数々のボランティアに頼らざるをえないという生活がつづきます。まさに、依らしむべし、知らしむべからず。 なお今回のレポートは、「jmm」の編集部にも送信します。 下記の89に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 18 89 11月6日 池田大作の蓄財術 創価学会=池田大作の蓄財規模の巨大さは、想像を絶するほど異常なものですが、この異常さが何よりも雄弁に創価学会の正体を物語っています。 不法無法をものともしない、その強引な手口が巨額資金の流入を可能にしているのですが、それだけではありません。資金のすべてが池田大作一人に集中するという、完璧な独裁体制が組織の末端まで徹底して貫かれているからです。 これが例えば自民党ならば、派閥のボスは、不正入手した資金は配下の議員に配ります。たとえ不正に入手した資金でも、すべてを蓄財することは不可能です。いわば政治活動資金として、消費せざるをえないわけです。 企業も同様です。談合や政治家絡みで不正に仕事を受注する例は枚挙にいとまはありません。しかしこの場合も、特定の企業に利権が集中するという弊害はありますが、例外なくそれらはすべて経済活動の中で消費されていきます。 ところが創価学会はすべてが池田大作一人に流れこむだけで、配下の部下や信者学会員に分配されることはありません。その必要がないからです。それどころか彼らは逆に、競うようにして大作に貢ぎます。それが功徳になるという、大作への盲信システムが末端まで貫徹しているからです。 あの大作になぜそこまで盲信、献身できるのか、わたしにはまったく理解できませんが、末端まで貫徹された、池田大作の人心操縦術の結果は、一切の批判を完璧に排除する独裁体制を可能にしました。ですから、学会員は大作に盲信すれども批判せず。何をしてもノーチェックです。 例えば、巨額の資金を蓄財しているアメリカ創価学会SGIが、大作の個人名義になっていることは、法的にはもとより、組織の運営上も大問題です。普通ならば大騒動になるほどの重大問題ですが、創価学会ではそういう気配は皆無です。 大作先生に異を唱える人間は一人もいないからです。盲信は信仰の一要素とはいえ、ここまでくると信仰というよりもファシズムというべきでしょう。 そして創価学会が政権の中枢にもぐりこんだ結果、創価学会的ファシズム体制が、社会全体を深く、静かに覆いつつあるというのが、現日本の状況です。 こうした創価学会的ファシズム体制が進む中、経済の機能不全もより一層深刻化しています。経済はさまざまな要素が絡み合って動く複雑な生き物ですので、簡単に原因を解明することは不可能だとは思いますが、わたしの素人考えでは、このファシズム体制も大きな要因になっているように思われます。 利権漁りは昔からありましたが、以前は、ある特定の個人、特定の企業などに利権が集中しても、結局経済活動として消費され、その個人や企業の手から外部へ放出されました。 しかし創価学会=池田大作が利権漁りに乗り出してからは、それらの利権はすべて池田大作一人の手に流入し、延々と滞留しつづけてきたわけです。ことに堤清二と結託してからはその額と頻度は、異様に増大しました。 日本の年間国家予算を優に超える巨額資金が、一「宗教法人」にストックされるという異常事態にまでなってしまったわけです。日本どころか、世界の経済が停滞しても不思議はありません。 下記の88に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 17 88 11月5日 創価学会と人工衛星 創価学会とイスラム教には唯一共通点があります。政教一致です。しかし両者は似て非なるものです。イスラム教の場合は政治もコーランが原理的に適用されますが、創価学会の場合は宗教的教義はまったく無用、利権拡大へのあくなき野望のみが、強力な政治原理になっています。 ことに池田大作と堤清二とが結託して以来、その野望はとめどなく膨張しつづけています。政治、経済、文化のすべてに影響力を行使することが可能になったからです。 岩田屋の一件にしても、新聞がまっとうな批評性を保持していたならば、むざむざと餌食にされつづけることはなかったはずです。放漫経営で倒産させたというのならともかく、倒産もしていない会社の穴埋めのために、経営者が巨額の私財を提供させられるなどということは、素人目にも不可解きわまりないものと映ります。 しかし専門の経済記者が、「ウルトラ策」だとほめたたえて記事にすれば、このおそるべき強奪犯罪も犯罪ではなくなってしまいます。新聞、メディアなどの文化領域を配下に収めると、どんな犯罪も白昼堂々とまかり通ってしまうという実例です。 政治の領域でも同様のことが起こっています。創価学会の組織票をバックにした政党の溶融、解体の進行です。ことに自民党にはその現象が著しく、解体末期症状を呈しています。 従来の組織票が有効に動かなくなった結果、創価学会への依存度は増す一方です。しかし以前にも指摘しましたが、創価学会は麻薬そのもの。依存すればするほど、脱創価学会は不可能になってきます。 その結果、おそるべき犯罪実行犯を、堂々と政権中枢に抱え込むという、前代未聞の政治運営を行なわざるをえなくなっています。もっとも、大作・清二の犯罪的陰謀に気づいている政治家はほとんどいないようですが。 とはいえ、政治はさまざまな階層や立場の利益を代表した政党や政治家によって営まれるものです。政治とはまさにそのために要請されたものだというべきでしょう。人間は抽象的に存在する生き物ではないからです。極端な個利個略は排されるべきですが、そうしたさまざまな利益の代弁、調整が政治の大まかな機能です。 ところが創価学会は、政治のこの基本機能を大きく歪める個利個略の塊です。結局引っ込めましたが、公明党に有利な区割りをもとにした、中選挙区の一部復活を画策した選挙制度改悪案は、その体質をモロ露わにしたものです。 この改悪案を批判した時に、公明党にとってはテロ法案よりも選挙制度の方が大事だと書いたのは、誤解を招きそうです。 いうまでもなく自衛隊の海外派遣は与党一丸になって進めたもの。どんな難題をぶつけても、テロ法案は最優先されるとの当然の読みがあったがゆえに、どさくさに紛れて提出されたということです。 米同時テロの陰謀は、自衛隊出動と選挙制度の改悪をセットにして計画されたものです。池田大作の世界制覇政略の中には、当然のことながら、自衛隊の利用も折込ずみ。ですから派兵に反対するはずはありません。 アメリカ創価大学での人工衛星が打ち上げも、創価学会=池田大作の軍事戦略をも含む、世界制覇戦略の現われにほかなりません。 国立大学も含む、日本の大学のどこも人工衛星など打ち上げたことはありません。最大の理由は資金的なものでしょうが、大企業からの寄付などありそうもない創価大学だけが、なぜ可能だったのか。資金の流入もきわめて不透明です。 アメリカ創価大学は、『週刊新潮』の記事によれば、120人の定員に対して、私学助成金が10億円も支給されています。ほんとうに日本の文科省が出しているのか不審に思い、図書館やネットで調べてみましたが、大枠しか分かりませんでした。 しかし創価大学の場合は、助成金という正規ルート以外からの不正資金の流入の方が圧倒しているはず。いうまでもなく、諜報技術の高度化という大目的を利用した、大作の不正資金のマネーロンダリング兼新蓄財源としての、資金の「投入」です。 大作の不正資金の総額は、日本の年間の国家予算をも上回るともいわれていますが、人工衛星の打ち上げならば、巨額な不正資金の投資先としては申し分ありません。投資額が巨額なだけに、不正洗浄のための操作も、巨額な単位でできるからです。 日本の地方銀行などを使わずとも、一石二鳥どころか、三鳥、四鳥と効用は拡大。地銀のお役目は終わりです。これら地銀には、堤清二もお世話になったのはいうまでもないでしょう。 日本の犯罪者集団は、同時テロによるTWC撃破によって、彼らの犯罪を永遠に葬り去ろうとしたのです。 自らは直接手を汚さずに、命の危険にも身をさらさずに、テロにひそかに便乗し、幇助することで、彼らの地位と不正蓄財による財産を守ったのです。 下記の87に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 16 87 11月2日 大作・西武の乗っ取り手法 岩田屋やそごうの乗っ取りが、流通業界ないしは経済界での出来事として収まる類の出来事であったならば、門外漢であるわたしがここまで執拗にその犯罪性を問うこともなかったでしょう。わたしがこの事件に敏感にならざるをえなかったのは、その背後に池田大作、堤清二の画策を感じとったからです。 近年の両名の動きは、経済、文化、政治に対して串刺し状に影響を与えることを、絶えず念頭に置いたものです。彼らの力が増せば増すほど、経済、文化、政治に対する彼らの影響力はさらに強まります。わたしはそのことに恐怖を覚えずにはいられません。 日本の文化と政治は、池田大作、堤清二、そして彼らの手先として陰謀力を発揮している柄谷・浅田の暗躍により、すでに壊滅的な危機に瀕しています。 文化と政治分野では、連中の不法無法を厭わぬ強奪手口は分かりにくいところがありますが、岩田屋やそごうの乗っ取りは目に見える実例として紹介しました。 同様のことが日本各地で起こっているはずです。詳細は省きますが、北海道も福岡とほぼ時を同じくして大作・清二の攻略に遭っています。名古屋も同様ですが、つい最近も、和田繁明氏のそごう新社長就任と、ほぼ同時期に、同じく元西武百貨店社長が、愛知環境万博の事務局長だったと思いますが、要職についています。 揉めに揉めていた海上の森を巡る問題が解決したのを機に交代。前任者が自ら交代を申し出たのかもしれませんが、難問が解決したのをみすまして、すばやく子飼いの人物をすべりこませたわけです。他人の成果、財産を容赦なくかっさらう彼らの手口が丸見えです。 かくして日本各地を次々と攻略し、彼らの勢力、版図は一気に拡大しました。 自民党議員を有効に活用したことが成功の秘訣ですが、その結果、さらに力を増した彼ら、特に池田大作に自民党議員はさらに依存を強めざるをえなくなりました。 自民党議員の悲惨さが増す一方、陰謀成功に慢心した大作・清二は、その野望を膨張しつづけます。そしてついに、アメリカ攻略という途方もない野望にとりつかれてしまいました。その一つの現われが、今回の同時多発テロです。 「正義」の看板を掲げれば、どんな無法も許される。 彼らが日本の成功で得た最大の教訓です。地方文化擁護の「正義」を盾に地方攻略に成功し、「文化立国」の御旗を立てて日本攻略にも成功、しかも「小」での成功と「大」での成功は、互いに連動しあって相乗効果を発揮。彼らが、同手法を世界大に拡大適用することを考えても、何の不思議もありません。 イスラムの反米闘争には切実な大儀があります。この大儀は、アッラーへの絶対的な帰依とともに、イスラムの反米闘争を強固に支えています。そのやり方に異議を唱える人も、彼らの闘争の正当性そのものは疑わないはずです。日本の犯罪者どもは、世界大のこの絶対的正義と彼らの過激な闘争力に目をつけたのです。 強者の排除、強者の抹殺、強者の力を削ぐ。 大作・清二が地方攻略、日本国攻略成功のために一貫してとってきた基本戦略です。横暴な強者は大いに批判されるべきですが、彼らの忌み嫌う強者とは、彼らの立場を危うくする能力を持ったものを意味します。 彼らに強者と判断されると個人であれ、組織であれ、容赦なく排除、矯正の対象にさせられます。 社会にとって、あるいは各分野にとっては大変な損失ですが、彼らにとっては、自分たちの優位性を保持し、自分たちの思い通りになる環境を維持することが最大の狙いですから、その結果社会の活力が低下しようがどうしようが一向にかまわないわけです。柄谷・浅田もまったく同様です。 世界制覇に当っても当然強者の排除、強者の力を削ぐことは必須条件です。アメリカが標的にされたのは、彼らの論理の必然の結果でした。 経済、文化、政治、表からではどの分野から攻めても、世界最大の強者アメリカを排除することはおろか、力を削ぐことさえ不可能です。唯一可能なのは、反米敵対勢力と提携し、その力を利用するという裏ルートのみです。 イスラム過激派の反米闘争は、長年欧米列強から不当な犠牲を強いられつづけてきた彼らにとっては、その方法手段を別にすれば、止むに止まれぬものだといわざるをえないでしょう。 大作・清二は彼らの命をかけた闘争を、世界的利権獲得の手段として利用することを目論んだわけです。 イスラムの正義は、大作・清二の、犯罪隠しのベールとしても利用されています。 下記の86に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 15 86 11月1日 大作・西武の岩田屋乗っ取り そもそも学校法人が百貨店を買収するなどというのは、前代未聞のことです。 ことに違法をものともしない経営で、全国的にも名を知られた都築学園です。地元での印象も芳しいものではありませんでした。いうまでもなく従来ならばありえない、大老舗百貨店岩田屋を同学園が買収するという異常事態の演出も、大作・清二のコンビがひそかに画策したものです。 同学園の有形無形の莫大な資産に目をつけたからですが、まずはその資産を、彼らの流通業界支配のために利用したのが、この買収劇の真意でしょう。 その結果、創業家岩田屋の社長は都築学園の店子の地位に転落、確か月々350万円ほどの家賃を払っているはずです。しかもその期限は5年。5年後には、創業家社長は多分追い出されるでしょう。 今年の7月頃に、西友が岩田屋の子会社であるスーパーサニーを全店買収しました。こちらはおカネを出した「正当」派買収だったようですが、実際の価値より買い叩かれたはずです。岩田屋の赤字を埋めるために、サニー株をすべて手放したという事情が背景にあったからです。 サニーは、福岡を中心に九州各地にも店舗を広げていたはずですが、実質収益率は本体岩田屋よりも高いはず。岩田屋の社長がそれらをすべて手放さざるをえなかったのは、選択の余地のない状況に追い込まれていたからだろうと思います。 しかも買収資金もすでに岩田屋から巻き上げた巨額資金の一部を当てたもの。つまり岩田屋の創業家は、大作・西武の何重もの収奪にさらされつづけてきたわけです。 優良な私財を巻き上げられ、本体岩田屋も巻き上げられ、スーパーサニーも全店巻き上げられるという異様な乗っ取りが、短期の間に進行しました。 都築学園は確か350億円前後で買収したはずですが、その巨額資金は経営再建のためには使われずに、どこか闇に消えたのではないかという疑惑が生じてきます。 スーパーサニーの全店売却は、わずか1年あまりで、350億円もの巨額資金が底をついたことを意味しているからです。岩田屋の社長は、なすすべもなく乗っ取り屋大作・清二の餌食にされつづけているとの感ありですが、直接の指導=工作は、そごう同様銀行が担当しています。 しかしいくら銀行の指示によるものとはいえ、ここまで無抵抗にされるがままになっているのは、一つには創業家社長の息子が後を継いだという事情があるようです。この社長交代はある人物を介して、この春初めて知ったのですが、転居後のことでもあり、理由は分かりません。 普通に考えるならば死去に伴う承継ということになりそうですが、図書館でも調べてみましたが、地方百貨店の資料など見当たりそうもありません。しかしもしそうならば、そごうとは形は違え、共に死者一人が出たことになります。2000年4月27日、長銀出身のそごう副社長が自殺しています。 岩田屋の場合の問題はそごうとは異なり、経営経験未熟な若い社長が後を継いだところに、悲劇を増幅させた大きな理由がありそうです。もちろん社長を若い息子に任せるというシナリオも、大作・清二の乗っ取りコンビの工作です。 ベテラン経営者ならば、売却までは抗しきれずに応じたとしても、350億円もの売却資金をたった1年あまりで使い果たし、サニー株まですべて手放すという事態にまではならなかったはず。 5年の期限の間に、めぼしい資産はすべて巻き上げようとの魂胆のようです。どこかで見た光景ですが、経験未熟な若社長ならば、大作・清二のやりたい放題し放題。 都築学園が岩田屋を買収した時点の計画では、本館には学園関連の専門学校が入ることになっています。ということは、百貨店として残るのは新館のみということなのでしょう。実はこの立派な新館には、最上階のほぼ全フロアを西武の書店リブロが占めています。 奥の一部にNTTの小劇場が入っており、一大カルチャーセンターになっています。つまり、新館建設そのものが清二の乗っ取り計画の一環として、ひそかに画策されたものだということです。これで九州の拠点福岡は制覇、後はそごうで全国制覇。いずれも資金いらずの制覇戦略の成功です。 ところで岩田屋には本体百貨店以外の直営店として、「ブルーノート・フクオカ」があります。いうまでもなく本家「ブルーノート」との提携店で、本場アメリカから歌手や楽団を招いて運営されています。 岩田屋を攻略すれば、アメリカの音楽業界直のルートも入手可能。大作・清二にとっては、アメリカ進出のあらたな手立てともなる、またとない獲物です。岩田屋攻略は、福岡進出と同時に、アメリカ攻略のきっかけともなったはず。 下記の85に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 14 85 10月31日 そごう「倒産」と岩田屋乗っ取り 『文化ファシズム』執筆当時は、そごう問題に関しては、何かモヤモヤしたものを感じながらも、和田氏の登場などもあり、堤清二の影響力は急速に後退したのだろうと判断していました。 しかし今回の同時テロに遭遇して、作ならびに演出=大作・清二、出演=和田繁明、自民党有力議員、協賛=日本興業銀行というメンバーによる倒産劇であったことに気づかされました。 清二氏自身の100億円提供のアドバルーンは、そごう倒産処理とリンクされたものであり、清二氏自身のイメージアップの狙いだけではなく、水島会長の私財提供を迫る伏線の狙いもあったことは明らかです。 カネを使わずに百貨店を乗っ取るという手口は、実はすでに福岡で実地演習をすませており、その応用編としてそごうは相当前から狙われていた模様。「小」での成功は「大」でも応用可能、見事に成功しました。 ファシズム集団が福岡に対する画策を本格化しはじめて以降のことですが、福岡では、一等地にあった老舗百貨店岩田屋が標的になりました。老舗百貨店の屋台骨が揺らぎだしたのは、新館建設と三越の進出を機に激化した百貨店戦争のあおりを受けたからですが、決定的な要因は、採算を度外視した新館建設の投資コストの負担だったのだろうと思われます。 しかし同百貨店の経営悪化への転落速度は異様に速く、新館建設後、確か2年後には、創業家経営者の経営責任を問われるほどになり、社長が私財を提供して負債の穴埋めをするという異常事態にまで発展。 東京にある秀和などを含む優良不動産を売却して、穴埋め資金を捻出。メインバンクの指導による倒産回避のウルトラCの策だと、当時新聞が報じていました。 ところがなんと、社長が私財を提供した翌年の99年には、いよいよ経営が立ち行かなくなり、百貨店そのものが売却される羽目になってしまいました。買い手は、第一薬科大学を擁する都築学園です。 下記の84に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 13 84 10月30日 そごう乗っ取りと大作・西武 これまでは創価学会、柄谷・浅田に焦点を当てて犯罪批判を展開してきましたが、彼らの犯罪を可能にしたのは、経済、文化両業界に幅広い人脈をもち、大きな影響力をもっていた堤清二氏です。 創価学会に対する世間の根強い警戒感を解除するのに、堤氏は多大な貢献を果たしています。創価学会に対する警戒感の解除なしには、このおそるべき犯罪は起こりえなかったわけですから、堤清二の果たした役割は、万死どころではすまない、万万死に値するものだというべきでしょう。 創価学会の政界での力を一気に高め、政界そのものを篭絡。政治家を手先として利用しつつ、池田大作ともども、巨万の富を獲得しました。そしてさらに世界に向けてその野望を拡大しつつある、これがこの犯罪の最深部に当ります。 まずは彼らのあくどい手口を示す、格好な一例を紹介しましょう。昨年倒7月に倒産したそごうは、当初債権放棄で処理することがほぼ確定していました。 ところが関係者も唖然とするような、唐突な方針転換で倒産、民事再生法での処理になりました。亀井静香氏が水島会長を口説き落としたいうことで、当時は亀井氏も一躍時の人となりました。 経営に失敗した企業が倒産するのは当然ですが、わたしが不可解に思うのは、その後の処理の仕方です。元西武百貨店の社長和田繁明氏が、再建そごうの社長に就任。ここまでは問題はなかったわけです。和田氏は傾きかけた西部百貨店を、堤清二氏に代わり立て直したという経営手腕の持ち主です。 経営が軌道に乗ると、株主堤清二氏にその座を追われるという悲運を味わったわけですが、再び活躍のチャンスが巡ってきました。 和田氏は、西武百貨店との提携を強めるという形で再建を推進。ついにはそごうが西武になるのではないかというほど、両者の関係は強まりました。 しかし和田氏と清二氏との良好とは思えぬ関係を知る者には、ここに清二氏の意思など入る余地はなさそうに思われました。 さらにそごう倒産直前に、清二氏は西武百貨店関連の株をほとんど売却したといわれています。西武百貨店と清二氏との間で、負債処理を巡っての悶着がここ数年つづいていましたが、清二氏が株を含む100億円の私財を提供することで、長年の懸案が急展開で決着。 拙著『文化ファシズム』での告発が、こうした動きを加速させたのは事実ですが、実はさらにあらたな陰謀が仕掛けられていたことに、つい最近気づきました。 このそごう処理案を考えたのは堤清二ですが、池田大作も承知していたのは間違いありません。当時の政治力学からすると、大作先生の許可なく亀井氏が仲介に立つわけはないからです。 恫喝王亀井氏の迫力には、水島会長も承諾せざるをえなかったのでしょう。無謀な拡大路線を突っ走った、先の読めない経営者の、あっけない最期です。後は、大作・清二のコンビによるそごうの収奪作戦の展開です。この件では、亀井氏の手にはほとんどおカネは渡っていないはずです。 この犯罪の特徴は、かってとは様変わりして、利権漁りの中枢から政治家が追い出されてしまったことです。政治家は連中の手先として使われるだけだ、という場面がほとんどではないかと思われます。政治家には、票さえ回せばそれで十分だからです。 この件もまさにその典型でしょう。水島会長は個人所有のそごう株を、メインバンクである日本興業銀行に預けていたそうですが、債権放棄で処理が進むことを前提にした、メインバンクに対する信頼があったからでしょう。 しかし、突如の倒産。経営責任を厳しく問われる展開になりました。当然とはいえ、そのやり口は水島氏にとっては、不意打ちを食らった奇襲作戦と映ったに違いありません。その上、週刊誌等の激しいパッシング。さしもの流通界のドンも、手も足出ないまま、さらなる追い討ちを受けました。 NPOによる株主代表訴訟という奇妙な形で、水島氏の経営責任が追及され、私財の提供が要求されました。メインバンクに預けたつもりの株を巻き上げられ、逆に正体を隠した「株主」から裁かれる、踏んだり蹴ったりです。 これは明らかにNPOの悪用です。NPO(非営利組織)という「正義の仮面」を前にすると、経営責任とは別に、本来水島氏の所有になる、そごう株の所有権回復などの営利的な要求は、非常にやりずらいものになったはず。これは明らかに非常に手のこんだ、一銭のカネも使わずにすむ、そごう乗っ取り作戦です。
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●Home 文化ファシズムと米同時テロ 12 83 10月29日 TWC爆破は、犯罪の証拠隠滅に利用されただけではありません。日本の犯罪者集団は何重ものバリアを施し、加担の痕跡は残さぬようにひそかに手を貸したわけですが、その結果が及ぼす効果については、あますところなく利用し尽くしています。 日本の犯罪者グループの中心メンバーである柄谷・浅田は、彼らの関連本をこのテロ事件の余光によって売り込もうと着々と計画を進めていました。 10月3日に開催された柄谷・浅田のシンポジウム(新宿紀伊国屋でもこれまで見たこともないような異例の扱いで、各階踊り場毎に張られたポスターを見ただけで、どの程度の入りだったのかは不明)に合わせて、『トランスクリティーク』『批評宇空間』V期創刊号を発行。柄谷・浅田の作った出版社批評空間からの出版第一号という、記念すべき時期であり、出版です。しかもこの出版は、「資本と国家への対抗運動」を看板とするNAMの実践だというふれこみです。 当時のNAMのHPには、10月3日のシンポ案内も含め、賑々しくその実践の趣旨が書かれていました。ところがわたしの批判が出た後すぐに、HP上でNAMと「批評空間」とを切り離すという姑息な批判回避を、例によってやっていましたが、今はまた引っ付けてるのかもしれません。状況次第でクルクル変わる表の活動スタイルにはもう興味はありませんが、彼らの犯罪者としての本質批判だけは徹底してつづけます。 一国を代表する評論家、有名な「文化人」が自分の本の評判をあげるためにテロ謀議に加担するなどというのは、世界中どこを捜してもありえない話でしょうが、どこにも起こりえないことが、今日本では堂々と進行しています。 柄谷の近年の実践行動は誰もが奇異に感じる唐突なものでしたが、この実践は、「知」の市場の独裁体制を日本のみならず、世界中に拡大していくことを狙ったものです。拙著『文化ファシズム』では、国内での動きしか考えていませんでしたが、まったく同様手法で世界各地にもすでに触手を伸ばしていたことが、この同時テロで明らかになりました。 この犯罪者集団内における柄谷の役目は、市場主義を「終焉」させ、独裁的な世界受容を可能にさせる理論づくりです。『NAM原理』がその基本理論になるわけですが、この「原理」そのものも、柄谷は盗品を利用しているはずです。わたしは『原理』までは柄谷の著書はすべて熟読していますが、革命運動史、労働運動史、社会運動史などに類する著書、論文は、この犯罪以前には気配すらありませんでした。きっかけは拙稿の「柄谷論」ですが、その先の運動理論への展開は、その筋の専門家から無断盗用しているはずです。細々した組織編はその稚拙さゆえに批判の対象外にしますが、本編「NAM]は国内外を問わず、専門家から仕入れたものだと断言しておきます。 柄谷・浅田に獲物として狙われたら最後、逃れることは不可能でしょう。95年11月に自殺したジル・ドゥルーズもその一人であったのではないかと推測しています。93年のインタビューで、ジル・ドゥル−ズは「次の著作は『マルクスの偉大さ』というタイトルになるでしょう。それが最後の本です。」「マルクスについての本を終えたら筆をおくつもりでいます。そうして後は、絵を描くでしょう。」と語っています。死後すぐに仏誌に掲載されたインタビュー記事の一部が邦訳され、『批評空間』「ドゥルーズ特集号」の巻頭を飾っています。そもそも柄谷の仕事はドゥルーズの後追いのようなものでだったともいえますが、その先人がこの世から消えたわけです。 柄谷にとってプラスなのかマイナスなのか。不可解なことにタイトルまで決定していた著作が、草稿すら残されていないらしいということです。インタビューから自殺まではほぼ2年、たとえ断片でも残されていたならば、大きな話題になるはずです。あらためていうまでもなく、タイトルは著作物のエッセンス。タイトルをつけた以上、著作の中身も具体的に構想されていたはずです。それが断片すら残されていないというのは、奇々怪々というほかありません。 柄谷・浅田はドゥルーズの動きは逐一把握しているはずです。この情報把握の速さが、彼らの商品性を保証していたわけですが、突如ドゥルーズの後を追うことを止めてしまいました。95年8月末にわたしが150枚ほどの本編「柄谷行人論」(『柄谷行人論』所収の「柄谷論」と同一原稿)を書き、柄谷に送ったからです。それまでは、柄谷の講演などに行くと歓迎してくれていた柄谷の態度が激変しました。文字通り膝を接するようにしてお酒を飲んだりしていましたが、本編「柄谷論」以降は、顔を合わせることすら避けるようになりました。数年ぶりに出向いた、昨年のNAM大阪大会ではついに雲上人にまでなり、手下を通じて面会も拒否。 今から思うと柄谷は、95年の8月末から今日まで、おそらくドゥルーズの位置にまで自分を押し上げるためのさまざまな画策を重ねてきたのだと思います。ドゥルーズの「自殺」から王寺賢太氏まで、そのための画策がひそかに重ねられてきました。王寺賢太氏はNAMに関する柄谷のインタビュアーですが、ドゥルーズの勤務先であったパリ第8大学の研究生です。いうまでもなくドゥルーズのマルクスに関する草稿は、ドゥルーズの死後連載が始まった、柄谷の「トランスクリテーィク」に吸収され、さらに単行本では本格的に盗用されているはずです。単行本は読んでいませんが、一気に完成にもっていかなかったのは、一つの材料で何年も商売をするという独特の商法にもよりますが、それ以上に、これまでの柄谷には万に一つもありえない大仕事を、突如発表したのでは危ないと判断したからでしょう。 自分の天下を築くためなら不法無法をものともしない柄谷が、犯罪者集団の理論家として期待され、今も期待されつづけているのは、その理論家としての能力以上に、利権獲得のためなら手段をえらばぬという、知識人には珍しいその資質ゆえにです。浅田はそれを補助、補強し、コンビで犯罪の世界化へと驀進しました。浅田の関連本も10月3日のシンポに合わせ、何冊も同時出版されています。拙著『文化ファシズム』を献本した青土社は、拙著の訴えには一顧だにせず、浅田関連の本をや雑誌をシンポにに合せて刊行しています。『美術手帳』も同様です。これらの時期を合せた一気刊行は、とうてい偶然のものとは思えません。 これらはすべて、「文化」のベールで犯罪を覆い隠す工作にほかなりません。キューバの楽団を利用したのと同じ手口です。最大の違いは村上龍氏はそうとは知らずに利用され、柄谷・浅田は自ら犯罪の中核役として動いているという点です。彼らは一冊の本、一冊の雑誌のために、人ひとりのみならず、大量虐殺も平然と敢行します。 下記の82に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 11 82 10月27日 アメリカでも創価学会は悪質なカルトとみなされていたらしく、15年ほど前にロサンゼルスに分校は建てたものの、住民の反対運動に遭い、創価大設置計画は頓挫、不動産取引も制限されていたとのこと。まるでかつてのオウム真理教なみの扱いだったわけですが、事態は急転換、今年5月にネバダ州に校舎が完成、8月24日の開校を迎えたそうです。10数年という長い封印が解かれるに至った背景は、あらためていうまでもなく、日本における創価学会の地位の激変でしょう。特に政権与党の蔭の実力者となり、一気に人脈を拡大したことは、海外での創価学会の正式認知にも多大な貢献をしたはずです。 しかも今回開校したアメリカ創価大学は工学部だとのこと。情報技術最先端のアメリカで、その最先端の技術、情報などを不法無法をものともせずに仕入れることも、当然大きな狙いになっているはず。情報戦争に勝ち抜くことは、世界制覇のための必須条件です。合わせて、正規の大学として設置、開校されたアメリカ創価大学は、池田大作の強固なガード役をも果たします。しかも年間10億円以上もの私学助成金も入ります。ただし世界制覇の陰謀が明らかになると、助成金どころではなくなりますが、誰一人その陰謀には気づかない、永遠に気づかれるおそれはないと、大作氏は得意と安堵の渦中にあるはずです。 そこで、数々の不正の前歴の抹殺です。SGIのカネの出入りを熟知していたであろう経理部長、何やら不似合いな場所に揃って入居していた日本の地方銀行、これらはすべて、その「記憶」ともども消されてしました。地銀以外にも、日本興業銀行も従業員数不明のままリストにあがっています。大手行はすべて金融庁に届けられていた、日本からの派遣社員と現地採用社員の数がリストにきちんと記載されています。日本興行銀行も地銀同様、金融庁には未届けのまま小規模、少人数で営業していたのではないかと思われます。ちなみに日本興業銀行は旧そごうのメインバンク。昨年7月のそごう倒産は、唐突かつ不透明な政治介入により処理策が急変した結果でしたが、旧そごう関連の資産の一部が、同銀行経由で池田大作の手にも渡っているのではないかと思われます。 しかし消されたのは銀行だけではありません。京都コンピューター学院も被害企業の一つですが、地銀と並んで奇妙な印象を与えます。京都といえば野中広務氏と浅田。京都を制覇した創価学会連合の威力がニューヨークにまで及んだということなのでしょうが、この学院はおそらく、アメリカのコンピューター技術者を捕獲するのが主たる目的で設置されていたのだろうと思われます。ネット犯罪には高度な技術が必要です。この学院は、ハッカーやネットウィルスの作成などの、ネット犯罪の秘密基地として利用されていたのではないかと、わたしはその名を目にした瞬間から疑いを抱いています。 テロ後間もなく二ムダが発生、猛威をふるいましたが、二ムダはこの学院で作られたのではないかと疑っています。ワームもそうではないかと疑っていますが、作成した履歴の残るPCも人もすべて消されてしまいました。証拠隠滅で完全犯罪の完成です。アメリカ創価大学工学部は、おそらくこの学院以上の優秀な頭脳を捕獲しているはずです。 米同時テロは、日本の犯罪者集団にとっては、彼らの悪行の証拠隠滅の格好の隠れ蓑として利用されたのですが、まだほかに重要な狙いが隠されています。今、公明党が持ち出してきた選挙制度改悪案が問題になっていますが、これもテロシナリオ作成時の重要な動機です。テロ後は自衛隊の派遣問題が発生するのは必至です。公明党は小選挙区制実施の推進派であったにもかかわらず、最初の小選挙区制での選挙後間もなくから、中選挙区制の復活を口にしています。結果が思わしくなかったからですが、同党にとっては中選挙区制の復活は今急に浮上してきた問題ではなかったわけです。 にもかかわらず自衛隊派遣やPKO凍結解除問題に絡めて、異様な「個利個略」にもとづく区割案を作り、中選挙区制の一部復活をごり押ししようとしています。自衛隊派遣やPKO問題以前に、この公明党の破廉恥きわまりない態度をこそまず徹底批判すべきです。わたしが推測したテロ謀議への創価学会の関与問題抜きにしても、露骨なまでに相手の足元を見透かしたそのやり口は、とうてい公党のものだとは思えぬほどの卑しさです。公明党はもともと政党とはいえず、創価学会=池田大作の利権獲得装置ににしかすぎなかったとはいえ、ここまでぬけぬけと脅迫まがいの取引を強要するのを、公然と目にする機会はこれまではそう多くはなかったと思われます。 選挙制度は有権者の声を極力公正に反映して、民主的に国政を進めるための基礎の基礎です。仮に中選挙区復活がそのためによりふさわしいというのであれば、じっくりと時間をかけて審議できる形で案を提出すべきです。にもかかわらず、どさくさにまぎれて脅迫まがいの言動を弄してごり押しするのは、国税から選挙資金を支給され、議員の歳費も国税から受けている公党の資格はないというべきでしょう。即刻解党すべし。 合わせて、こういう破廉恥な要求を平然と受けている与党責任者の鈍さも異常です。公明党の破廉恥さは、それを受け入れる相手も、同程度のレベルだと見透かしていることを意味しています。公明党にとっては対テロ防衛のための法案よりも、自党に有利な選挙制度のごり押しの方が大事であり、一方自民党にとっては、この改悪案を受け入れるならば、有権者の本質的な権利よりも、当面の軍事的貢献の方が大事だという結果になります。緊急事態をあくどく利用しようとする公明党に振り回されている自民党も、とうてい自立した公党とはいえないでしょう。 緊急時には個人にしろ組織にしろ、その正体が露わになるものですが、今まさに、日本の政治の無残な正体が剥き出しにされています。残るは有権者の、国民の良識のみです。それが唯一、この無残さに対抗しうる力です。無言の容認は、世界を舞台に、創価学会=池田大作がしかけたおそるべき罠に、まんまとはまるだけでしょう 下記の81に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 10 81 10月26日 創価学会は世界制覇戦略を進めるために、各方面に触手を伸ばし、さまざまな画策を重ねていたわけですが、中東紛争の利用は最大の狙い目として目を付けられていたことが、今回の同時テロではじめて明らかになりました。これまでもアルカイダは、クリントン大統領暗殺も含め、何度もアメリカ本土襲撃を試みていたようですが、いずれも未遂に終わっています。にもかかわらず、今回は「異様な」成功を収めました。この事実は明らかに、これまでにはない新たな協力者の出現を物語っています。 新たな協力者=創価学会は世界制覇を強力に進めるために、イスラム過激派、中でももっとも過激なビン・ラディンとアルカイダに接近。アメリカ本土襲撃の策を提案、協力することを申し出ました。この過激派とのコネクト成功に至るまでには、創価学会はさまざな機会、組織、個人を隈なく利用し、人脈開拓を進めていたのはすでに見てきたとおりです。キューバのカストロ首相もその一人だったのでしょう。反米、反市場主義を掲げる勢力に狙いを定めていたわけですが、これらの勢力篭絡には成功しました。しかしこれらの勢力利用が、単に創価学会=池田大作の私利私欲を満たすことだけが狙いであるという、真実のウラ事情については、彼らは誰ひとり気づいてはいないはずです。 今回のアメリカ襲撃は、そのウラ事情を端的に物語っています。なぜTWCは、航空機乗っ取り犯による自爆テロの標的にされたのか。第一には、アメリカ資本主義の象徴であるであるということですが、これは表向きの狙いとしては、両者ともに共有しうるものです。ところがもう一つの狙いが、この表看板のウラに隠されています。そのもう一つの狙いとは、日本の犯罪者集団によって仕組まれた、創価学会を筆頭にした彼ら犯罪者集団の、数々の悪行の証拠隠滅です。 まず乗客として爆死した創価学会経理部長ですが、重職にある人物だけに彼の死によって、創価学会も被害者であるとのイメージ作りに貢献させられています。この役割と同時に、経理部長の口封じも重要な目的だったと思われます。経理部長は創価学会インターナショナル(SGI)の、不正資金流入についてはおそらくもっとも事情に精通していた人物だったはず。日本の本部以上の巨額資金を有するといわれてるSGI,しかも池田大作個人名義で蓄財されているという化け物のような組織です。わたしの告発本やネット告発などもあり、以前にも増してSGIには、日本国内からも疑惑の目が向けられるおそれあり。外部の目を遮断する独裁的な体制で、権力の維持、拡大をはかってきた池田大作ですが、個人による不正蓄財の疑惑が明るみに出れば、独裁体制にも綻びが出ます。 実はこのつづきを書くために、新聞の縮刷版を調べようと図書館に行ったのですが、予定外の思いもかけない記事を発見しました。『週刊新潮』9月6日号に、なんと、創価大学がアメリカで人工衛星を打ち上げたとの記事が出ていました。8月24日のことだそうですが、この日は、念願のアメリカ創価大学の開校日でもあったとのこと。ビックリ仰天しましたが、創価学会の宇宙衛星利用の歴史は古く、日本の創価大でも長年研究をつづけているとの記事も出ていました。人海戦術を駆使したローテクと、衛星を駆使したハイテク。道理で諜報能力も抜群なはず。 この思いもかけないニュースに出くわし、米同時テロに創価学会が関与していたとのわたしの推理は、いよいよ真実味を増してきたと、確信をさらに強めています。時期遅れの、突発ニュース遭遇のため、今日書く予定であったレポートは次回に回します。 下記の80に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 9 80 10月25日 あらためていうまでもありませんが、同時テロの実行犯は、ビン・ラディンとその軍団「アルカイダ」ですが、その証拠を示せとは、タリバンをはじめ各方面からしばしば発せらた言葉です。新聞でこの報を目にするたびに、わたしはまったく同じ言葉で詰問されたことを思い出しました。短大在任中のことですが、わたしの授業が盗聴され、外部に無断で流されていることを抗議した時のことです。大学側のこの詰問に対しては、拒否で応えたのはいうまでもありません。不当な状況に置かれてきた長年の経験で、迂闊なことをいうと敵を利するだけにしかならないことを思い知らされてきたからです。しかし、柄谷にはこの不当な状況を訴える手紙を出しています。外部の著名な評論家の助力を期待してのことです。しかしこれらの期待はことごとく裏切られ、逆用されてきたのはすでに述べたとおりです。 その同じ手口が、このおそるべき自爆テロにも応用可能だという事実を目にし、あらためて驚愕せざるをえません。遺書を残し、まさに神風特攻隊なみの航空機もろともの激突戦法。神風特攻隊とアルカイダの兵士とは、その精神構造には酷似したものがありますが、神風特攻隊の天皇に対する帰依度よりも、アルカイダのビン・ラディンに対する帰依度の方がはるかに強固であるのはいうまでもありません。帰依の度合いの強さにはいささかの違いはあるものの、こうした戦法は、「私」を完全に滅却して帰依する、絶対者の存在なしには実行不可能です。その絶対者の指示、命令によってはじめて、兵士は我が身を投げ出すことができるはず。攻撃の過激さも含めて、目下のところこうした戦術を実行可能となしうる者は、ビン・ラディン以外にはいないでしょう。 昨日書いた日本の犯罪者、創価学会やエセ知識人柄谷・浅田の関与についてのレポートは、彼らに対する怒りが昂じて、彼らの役割を誇大化しすぎている面がありました。あのままでは誤解を招くおそれがありそうですが、彼らの関与はあくまでも補助的サポートでしかありません。柄谷・浅田は補助的サポート役の中での中心人物にしかすぎないということです。ここのところを確認しておかないと、事態を見誤る恐れが生じますので、今日はまずこの点を強調しておきます。 さて最大の問題は、創価学会がイスラム過激派に接近した狙いは何かということですが、いうまでもなく世界制覇に向けた戦略の一歩にほかなりません。わたしは拙著『文化ファシズム』で、彼らは世界進出を狙っていると指摘しましたが、あくまでも日本乗っ取りが最優先され、世界進出は今後の目標として設定されているものなのだろうと考えていました。しかし今回の同時テロとそれを巡るさまざまな動きを見ると、日本乗っ取り計画とほぼ同時進行で、世界制覇戦略も進められていることは明らかです。その周到さ、機敏さ、見定めた獲物の捕獲術、どんな機会も見逃さない用心深さ、創価学会=池田大作の陰謀力には、あらためて呆然とせざるをえません。柄谷・浅田はこの陰謀力を補強する役割を果たしているわけです。 彼らの目指す共通目標とは、独裁国家、独裁的体制、独裁的組織の確立、ないしはそれらを容認する動きを喚起し、推進することです。池田大作は、創価学会に独裁的に君臨してきたのですが、この独裁的手法が、外部組織攻略にも簡単に応用可能であることを福岡で実地に学びました。学習後の池田大作は、恐れを知らぬ勢いで日本を制覇しはじめました。小泉内閣の誕生でその勢いはやや停滞気味ですが、攻勢の機会を虎視眈々と狙っています。さらに最大の問題は、池田大作のマスコミ攻略によって、日本の言論が窒息死同然の状態に追いやられていることです。この件に関しては、柄谷・浅田の果たした役割は特に強調しておかねばなりません。彼らの出版界で果たした策謀は、まさに万死に値するものです。 ここにきて初めて、彼らの狙いが、日本に対しても、世界に対してもまったく変わりがないことに気づかされます。日本で成功したした手法を世界に対しても応用しはじめたのです。不法無法をものともせず、強引に乗っ取った方が勝ちだ、この乗っ取り法の適用です。彼らにとって望ましい相手は独裁的組織、独裁的国家です。いうまでもなく反独裁的体制、反独裁的勢力は彼らにとっても敵、「オフィシァルエネミー」です。彼らが独裁を求める最大の理由は、独裁は外部の目を完全に遮断することが可能だという点にあります。 下記の79に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 8 79 10月24日 ここ数年来、自爆テロは、イスラム過激派にとっては主要な攻撃手段になっていました。しかし、乗っ取った搭乗機を使っての自爆攻撃までは、まったくの予想の埒外。タリバンでさえ、例外ではありませんでした。攻撃後開かれたタリバンの聖職者の会合での決定は、それを端的に物語っています。当初タリバンは、アメリカをはじめ世界中のテロ非難に対しては徹底抗戦を表明していませんでした。むしろビン・ラディンの国外退去を当人に勧告する方針をとり、ビン・ラディンとは一線を画するような気配さえ見せていました。 当初見せていたタりバンのこうした動きは、この同時自爆テロが、味方タリバンにさえ事前には知らされず極秘のうちに準備が進められ、決行されたことを物語っています。それゆえに成功したのでしょうが、同時にタリバンをも動揺させるほどの、超過激な攻撃であったことも読みとれる対応です。9月26日、永田町でペシャワ-ルの会の中村哲医師による現地報告会が開かれましたが、新聞報道によると中村氏も当初アフガンには、反米よりもアメリカの犠牲者に対する同情の気持ちの方が強いと語っていました。こうしたアフガンの空気は、当時のタリバン政権の対応とも重なるものだろうと思います。 しかしそれから間もなくタリバンも反米、徹底抗戦に転じ、同時テロ決行犯グループと、完全に歩調を合わせた闘争姿勢を鮮明にしはじめます。同時テロ決行までは、同志たるタリバンにさえ極秘裏に進めたものの、決行後はあらためて両者が戦術を共有、共闘体制をさらに強化した、以上のような経緯だったのだろうと思います。ということはつまり、ビン・ラディングループにはタリバン以外にも、強力な支援者、共闘相手がいたということです。 実際問題、今回の同時テロは仮にタリバンの支援も受けていたとしても、それだけではとうてい実行不可能な戦法です。航空機の高度な操縦技術、分、秒を競うようにしてなされた複数機の同時激突。この綿密高度な戦法は、アメリカ国内にも攻撃執行の司令塔があってはじめて可能なものだったろうと思われます。もちろんビン・ラディンの存在抜きには実行不可能だったでしょうが、それを支える実務部隊はアメリカにもいたのではないかと思われます。その支援者こそ、創価学会であったというのがわたしの推理です。 アメリカ創価学会は日本の本部に次ぐ規模を有しています。しかも在米活動歴も長く、ことに近年は信者数も増え、米国内への浸透も急速に進んでいる模様。創価学会の日本国内での存在感の高まりに呼応した動きだろうと思われますが、アメリカでは、ともかくも仏教教団という看板がなお有効に生きているらしく、当局からはノーマーク。日本では政権内に抱え込むという「大胆・無謀」なことを平然とやっていますので、アメリカがノーマークでも無理からぬことだったのかもしれませんが、綿密な準備を要する今回のテロは、従来のイスラム過激派組織だけで計画を立てていたのであれば、準備段階で察知されていた可能性は大であったと思われます。 しかし意表をつく戦法と、完全ノーマークの意表をつく支援者。完全犯罪が成功したのも無理からぬことでした。しかもアメリカは、創価学会のみならず、今回のこの作戦でも首謀者的地位にいたと思われる同盟者柄谷にとっても、正体を隠して築いた有力者のネットワークが存在する、活動しやすい国です。もちろん浅田も加わり、柄谷と同等の作戦参謀役を果たしたものと思われます。過激派ならぬただの日本製犯罪者集団が、イスラム過激派とひそかに手を結び、「アメリカ=資本主義の象徴」と彼らの言うTWC攻撃の策を、入念に練り上げたのでした。 下記の78に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 7 78 10月23日 前回取り上げた第一薬科大学について、補足説明を追加します。ありうべからざる事態ですが、ひょっとして同大学の大学当局も、ファシズム的犯罪に協力している可能性もなきにしもあらずということです。当初は野中広務氏を筆頭にした自民党議員連同様、大学側は犯罪者集団に利用されているものと判断していましたが、必ずしも一方的な受身の関係ではないかもしれません。 たとえ可能性としての想定とはいえ、こうした判断に至るにはそれなりの背景があってのことですが、拙著『柄谷行人論』の「闘争宣言」をお読みいただいた方には、ある程度推測いただけるものと思います。ただしこの本は、首謀者柄谷・浅田の片割れである柄谷に対する致命的な判断ミスがあり、今となっては彼らの犯罪を隠蔽する危険な役割を果たしています。もしお読みいただく場合は、目下発信中の「メルマガ・ふってん」→『文化ファシズム』→『柄谷論』と逆進していただきますようお願いします。 この大学を巡る動きについては後日詳述するつもりですが、同大学を含む都築学園に関する情報、人脈も、犯罪者集団はわたしから入手しています。想像を絶するおそるべき事態をも想定せざるをえなくなった今、あらためて創価学会の腐食力のすさまじさに思いを致さざるをえません。創価学会の腐食に遭うと、人の行動のよりよき規範、規制となる理、法、倫理などはたちまちに無力化され、解除されてしまいます。その腐食力を、古川利明氏は著書の中で麻薬のようだと喩えていましたが、個人であれ、組織であれ、創価学会という「麻薬」を打たれると、破滅的に中毒症状を昂進させられます。唯一の対抗手段は、解体させられてしまった、理、法、倫理の回復です。わたしの告発はその実践にほかなりません。 そこで、中断している前々回のつづきです。村上龍氏の企画責任になるキューバ音楽の公演とこれに関連した動きは、いうまでもなく、村上氏自身にとっては予想もしなかった事態だったに違いありません。人気、実力共に文壇ナンバーワンである村上龍は、柄谷・浅田にとっては是が非でも篭絡したい最大の人物の一人だろうと思います。柄谷と対談はしていますが、村上氏は単独行で仕事をする正統派者作家です。一時の客にはなりえても同盟者にはなりえません。であるだけになお柄谷・浅田は、村上龍篭絡の機会を虎視眈々と狙っています。同氏の動きも、細大もらさず連中に把握されているのはいうまでありません。現在の柄谷・浅田には、公安以上とも噂されている諜報機関がバックにいます。その上、諜報のための超高度な秘密兵器を、柄谷・浅田は手にしています。 村上氏がイサックデルガートとその楽団の来日公演を企画している情報を早々にキャッチした柄谷・浅田は、この機会を有効に利用する策を講じました。テロ襲撃から20日あまり経った10月3日に、村上龍氏も出演するキューバ楽団の演奏公演と、柄谷・浅田出演のシンポジウムとが同日開催となった「偶然」は、柄谷・浅田の微に入り細をうがつような工作の結果だったとわたしは判断しています。他人の懐に手を突っ込み、平然と他人の財布を抜き取り、他人の家の中に勝手に上がりこみ、平然と他人の家庭を引っ掻き回し、破壊する柄谷・浅田とファシズム集団です。当事者である村上龍氏の関知しえない形で、連中の思惑通りに日程の工作をするぐらい朝飯前。テロ襲撃予定時期に合わせた工作です。池田大作のカストロ議長会見記の発表時期も、当然計算されたもの。 開催時期からしてすでに、村上龍氏も創価学会=池田大作と関係ありなのか?との疑いを誘発するものですが、それ以上に手の込んだ工作が、楽団の公演キャンセル騒動です。キューバとパイプをもつ「有力者」が仲介に立って、この「騒動」を収め、無事来日のために尽力する。こうしたシナリオが、楽団自身の意思とは別のところで作られたはず。こうしたシナリオがどこまで露骨に村上氏に示されたのかは分かりませんが、少なくとも楽団を経由してこのシナリオの効果は、それとなく村上氏にも作用したであろうことは十分に推測されます。開演前の村上氏の挨拶を聞き逃したのは返す返すも残念ですが、難を排して来日したキューバ楽団の、アメリカを「オフィシァルエネミー」とするとの意思表明は、村上氏の心情をあらためて刺激したであろうことは想像に難くありません。 それがどう作用したのか、あるいは世論の影響を受けてのものなのか、この公演以降、さらに「jmm」の論調に変化が生じています。特に問題なのは、金融のプロの解答です。ある傾向が顕著になり、先週配信の分は、はっきりいって読むに耐えがたい部分があり、途中で読むのを止めたほど。昨日の配信分は、各人多様な、旧に復した冷静なものになっていました。あるいは一時論者が変わったのかもしれません。 9万7000あまりという固定読者数をもつ「jmm」の影響力は、量と質を総合するならば、他に比べることのできるメディアは、そうそう見当たらないはずです。柄谷・浅田を筆頭にした犯罪者集団は、村上龍氏本人の篭絡も含めて、「jmm」という新メディアをも、是が非でも配下に置きたいと狙いを定めているはずです。連中は他人の財産を容赦なく強奪する集団です。そのためなら、方法手段を選ばず、また微に入り細をうがつような工作をも厭いません。わたしは長年連中の餌食にされてきましたが、その結果得た唯一最大の能力は、彼らの強奪の手口を、微に入り細をうがつように見抜くことができるようになったことです。例えば、犯罪者集団の村上龍氏への工作と、TWC爆破攻撃とは一つながりのものであるとの推理は、そうしたわたしの悲惨な体験が可能にしたものです。 下記の77に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 6 77 10月21日 昨日のつづきを書くつもりでしたが、予定を変更してかねてから気がかりであった、ある薬科大学とファシズム連との関係に触れることにします。彼らの犯罪意図を明らかにした上で、近々この問題に踏み込む予定でしたが、アメリカでの炭疽菌の拡がりを見るに付け、順番よりも緊急性を優先することにしました。 福岡にある第一薬科大学ですが、わたしがこの薬大とファシズム連との関係を疑っていたのは、死因は病死とはされているものの、次々とつづく各界要人の死の「偶然性」に、とうてい偶然とは思えぬ不自然なものを感じていたからです。医学の知識など皆無の素人判断ですが、病死も人為的に作り出せるのではないかとの、おそるべき推理をひそかに働かせていました。この件については後日詳述しますが、今日は緊急に、アメリカでの炭疽菌との関連について推理を働かせたいと思います。 文化ファシズムと称する異常事態は、福岡を発祥とすることはしばしばお伝えしてきていますが、第一薬科大学を含む都築学園も、この異常事態の荒波に呑み込まれています。ファシズム連と複数形でいうよりも、創価学会と特定した方がより正確に事態に迫れると思いますが、蛇に呑み込まれた蛙のような状況にあるはずです。表向きの経営形態はそのままにしつつ、実権をひそかに握るという巧妙な支配手法を会得した創価学会=池田大作は、莫大な資産を有するこの学園を実質手中に収めているはずです。 日本各地の病院、医大、薬大などにも創価学会員は数多く送り込まれているはずですが、勤務医や看護婦や一従業員の立場では、そう簡単には医の倫理に反したことは行なえないはずです。しかし経営中枢にもぐりこんだとなると、話は変わってきます。学内の人材、施設、資材などを、ひそかに私的に利用することは決して不可能ではありません。新聞の解説での知識ですが、炭疽菌の製造、運搬にはさほどの規模は要さないとのことです。管理責任者の目を逃れ、ひそかに製造することはさほど困難ではないだろうと思われます。 製造された炭疽菌の配布にも、探査の目をくらますネットワークが張り巡らされています。柄谷・浅田の人脈を駆使したネットワークは、その非犯罪性のベールに隠され、やすやすと毒物の通過を許したはずです。例えば書店の活用は、国内だけに限らず、海外においても彼らの勢力拡大、運動推進の拠点として大いに威力を発揮したはず。最近のイスラム原理主義の運動は、オウム真理教なみに、優秀な学生を結集しているのが特徴だと報じられていますが、運動主体者の変動は、日本の文化ファシズム連の動きと無関係ではないはずです。学生は国内外を問わず、彼らにとってはもっとも組織しやすい階層だからです。柄谷自らも、その旨自著に明記しています。 下記の76に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 5 76 10月20日 わたしは、拙著『文化ファシズム』を含めて、文化ファシズム構成メンバー策定にあたっては、長い間一部判断ミスをしていました。創価学会と密接な関係にある自民党守旧派については、文化ファシズム集団と関係ありとはしているものの、恒常的な構成メンバーとまでは考えていませんでした。 いくらなんでも政権政党の国会議員までもが、違法無法を異とせぬ陰謀家集団の、正規メンバーであるとの想定は予想外のことだったからです。しかしつらつら考えてみますと、この犯罪の遂行には、私人、民間人だけでは不可能な部分があり、有力政治家の積極的な関与があったものと判断するのが、むしろ自然だろうと思うに至りました。 わたしはずっと、自民党守旧派の有力議員は単にファシズム連に利用されているだけだと考えていました。国会議員が、犯罪そのものに堂々と加担するなどとは考えられなかったからです。しかしNTT回線での恒常的な送受信妨害、郵便物での恒常的な送受信妨害は、どれほど有力な人物とはいえ、民間人だけでは工作不可能な犯罪だろうと思われます。また非常に姑息なとしかいいようのない、自動車試験所の職員を使ってわたしを「フクモト」呼ばわりさせるという嫌がらせは、わたしに対する絶えざる監視と、それにもとづくネットワークを駆使した指令網の存在を感じずにはおれません。当時は、度々のことで、またかと不快感を感じただけですが、昨夜突如、その背後にある「力」の正体の全貌に気づき、思わず全身に震えが走りました。 今回の同時テロでは、その疑いをさらに強める動きが出ています。恐怖で全身に震えが走りましたが、沈黙は歯止めを知らぬ彼らの犯罪を許す結果になるだけだと思い、告発をつづけます。 10月3日に東京渋谷で、キューバのイサックデルガードの公演会がありました。「jmm」編集長村上龍氏名のお知らせメールで、公演を知りました。懐具合はきわめて乏しく、迷いに迷いましたが、思い切って6500円でチケットを購入。同日3日は柄谷・浅田出演による、「自社出版物」宣伝の2度目のシンポジウム開催日だったからです。彼らの舞台は新宿紀伊国屋(同店で開催予告のポスターを目撃),公演は逆方向の渋谷だということも気に入りました。ところが、確か9月の末だったと思いますが、同公演に関する村上龍氏の特別メッセージが届きました。 同公演は危うくキャンセルになるところだったという内容の、事情説明でした。キューバの「オフィシャルエネミー」であるアメリカの、テロ報復行動に抗議してのキャンセル申し入れがあったそうです。同盟国日本に対する抗議の意味ではなく、たとえ空の上とはいえ、時期が時期だけに敵国アメリカの上空は飛びたくないとの理由だったそうです。何かもう一つ分かりにくいところがありますが、確かキューバもパキスタン同様、タリバンを正式に承認、国交があるはず。おそらくそうした両国関係がキャンセル騒ぎの背景にあったものと思われますが、誰かの仲介があったのか、無事楽団は来日するとのお知らせでした。ホッとしたような同氏の気分が、こちらにも十二分に伝わってくるような内容でした。と同時に同楽団は、反米帝国主義を国是とする、キューバという国を背負ってやってくるのだということも、いやでも意識せざるをえないメールでした。 それから時を経ぬ10月1日付けの「日経」に、『第三文明』の広告が出ました。3段2分の1の大きさでしたが、なんと池田大作のキューバ、カストロ議長との会見談が出ています。偶然というにはあまりにもピッタリすぎる「偶然」です。キューバ公演も創価学会と関係があるのかと思い、公演にも行きたくないと思いましたが、乏しい中での6500円、パーにするには忍びず、公演にだけは行きました。公演前に村上龍氏の挨拶があったようですが、少し遅れたせいで話は聞けませんでした。チラリと見ただけですが、はじめて直に見た村上氏が、写真で見るよりはるかに若くみえたのには驚きました。また公演直前に立見席だということに初めて気づき、これまた狼狽しましたが、会場に入り、演奏が始まると同時に納得。快汗と鑑賞がドッキングした公演でした。演奏そのものにはいうまでもなく、「反米帝国主義」など入り込む余地はありませんでした。 しかし後日、この公演もまぎれもなく「反米帝国主義」への導入役として利用されていたことに気づきました。最近は、誤記防止に新聞のバックナンバーを繰ることが多いのですが、その時のことです。9月26日付けの朝日新聞政治面下段に、ベタ組で橋本龍太郎氏がキューバと中東を訪問するとの記事が出ていました。前日25日に橋本派幹部が発表したとのことでした。訪問の趣旨は、97年ペルーで起きた、日本大使公邸人質事件の犯行グループ受け入れ表明に対する謝意だとのこと。しかしあのテロ事件は、フジモリ大統領の決死の奇襲作戦によって、犯人グループは鎮圧されたはず。にもかかわらずの謝意とは奇妙といえばあまりにも奇妙。しかも世界を驚愕させたテロ事件の最中、一派閥の決定で、隣国のパキスタン以外、唯一タリバンと国交をもつキューバを訪問するとは不可解というほかありません。 橋本氏のキューバ訪問、キューバ楽団の来日と反米的意思表明としてのキャンセル騒動、創価学会池田大作のキューバ、カストロ議長と会見記公表。ほぼ同時期に起きたこれらの動きは、とうてい偶然のものとはいえないはず。橋本氏ならびに同氏が属する橋本派は、あらためていうまでもなく、創価学会=公明党とは密なる関係にあります。 下記の75に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 4 75 10月19日 ペシャワ-ルの会の長い年月にわたる献身的な活動は、国境を接したパキスタン、アフガニスタンはもとより、周辺地域にも広く知れ渡っているはずです。中村医師を中心に、多くのボランティアの方々が現地にも赴き、会の活動を支えていますが、草の根レベルをベースにした影響力は、地中を這う草の根のように、中東地域に深く浸透していたのではないかと思われます。 邪な野望を抱くファシズム連は、ありとあらゆるものを利権拡大のチャンスに転化します。わたしからこの会の存在を知った連中は、それまでまったく縁もゆかりもなかった中東地域への進出のチャンスだと、さっそく目をつけたのだと今にして思います。彼らは一旦目をつけると、その目的物にはどんな方法手段を駆使しても侵入します。 昨年11月、日本赤軍の重信房子さんが日本に帰国、潜伏中の大阪で逮捕されました。報道によると、すでに97年頃から日本に活動の拠点を移すため帰国を繰り返し、ひそかにその準備を進めていたとのことです。今回の逮捕は、本格的な活動再開の環境作りを目論んだ、覚悟のものだったと伝えられています。重信房子逮捕のニュースには、当時は非常に唐突な印象を受けましたが、今から振り返ると、彼女の「日本回帰」と逮捕劇も、実は文化ファシズム連の仕組んだ罠だったのではないかと思われます。ペシャワ-ルの会をひそかに利用した人脈探査で、彼女の所在をキャッチ。「体制側」ではないがゆえに、重信房子もその探査に応じたのだろうと思います。 彼女とコンタクトをとったファシズム連は、自らの存在は何重ものバリアで隠しながら、活動拠点を日本に移すための誘導工作を巧みに進め、その作戦は見事に成功しました。彼女の日本での活動が大阪を中心にした関西圏に限られていたという事実は、文化ファシズムの拠点が大阪から京都にかけての関西圏に置かれていたことと無縁ではありません。彼女の日本=大阪での活動がはじまった97年は、組織的な活動は未だとはいえ、柄谷・浅田が大阪での活動をはじめる時期と重なります。 重信房子の存在は、特に世界進出を狙う創価学会にとっては、大金をはたいても入手しがたい、パレスチナ、アラブの貴重な情報の宝庫、人脈探査機と映っていたはず。逮捕されるまでの、日本での短期滞在を繰り返した数年は、当人にはそうとは知られずに、貴重な情報、人脈収奪を進めるために費やされたはずです。必要な情報を収奪し尽くすと、彼女の役目は終わりです。むしろ当地での彼女の影響力は、ファシズム連にとっては邪魔でしかありません。そこで当分は塀の中へというわけです。わたしは自分の体験から連中の手口を推測しているのですが、これは間違いなく事実その通りだったと思います。 創価学会を宗教教団だと思うと判断を誤ります。ただの利権集団にしかすぎませんが、宗教の衣を被っているだけにただの利権集団以上に始末が悪い。その衣がウラの犯罪を隠す、鉄壁の要塞役を果たしているからです。特に海外では、宗教の衣の効果は絶大だろうと思われます。教義は一応日蓮宗を奉じていますが、創価学会=池田大作にとっては、教義など絶対的なものではなく、便宜的なものにしかすぎません。ここが他宗との決定的な違いですが、宗教教団ではないと断ずる理由の一つです。また創価学会の政治活動は、公明党の活動がすべてではないということも強調しておくべきでしょう。これは、政党政治の実践部隊として組織されている、他の政党一般との決定的な違いです。 宗教教団でもなければ政党でもない、このヌエのような存在が創価学会の特性であり、最大の武器ともなっています。これは彼らの行動を規制する、一切のルールが存在しないということを意味しています。あるとするならば、池田大作という個人の存在そのものが、現世の最大の規制=ルールです。そしてこの一点においてのみ、創価学会は宗教的組織の枠組みを保っています。むしろこの一点を強化する力としての宗教、池田大作の関心と悲願はここにこめられています。同種の野望をもつ柄谷・浅田ともども、イスラム教に目を向けたのは、イスラム教の求心力の強さゆえにであったろうと思われます。もちろん信者数の多さと地理的な拡がりは、世界進出を狙う連中にとっては、他には代えがたい工作対象であったはず。 中東地域における最高の水先案内人として重信房子を利用したファシズム連は、彼女なきかの地で、その存在を隠しながらひそかにアラブ工作を進めているはずです。17日に日起こったイスラエル観光相のパレスチナ解放人民戦線(PFLP)による暗殺事件は、一気に盛り上がりかけた和平への機運をつぶすことで、アメリカの対テロ対策を撹乱することを狙ったものだと思いますが、当然TWCテロと連動した動きだろうと思われます。PFLPは日本赤軍とは非常に関係の強い、彼らの活動部隊だったはず。重信房子を日本の塀の中追いやった後、理念もヘチマもないただの利権屋集団が、中東の紛争を煽っているはずです。 下記の74に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 3 74 10月18日 実は、東京三菱銀行のポーランド進出のニュース以前に、両者の関連を疑わせるニュースに遭遇しています。ペシャワ-ル会の中村哲氏の報告会が、9月26日、衆議院議員会館で開かれたというニュースです。この会は、中村哲氏が個人で進めておられたペシャワ-ルでのらい治療活動を支えるために、17年前に福岡市で発足したものです。中村氏の活動を支えようと、医療関係者や多くのボランティアの方々が集まってできた組織です。中村氏やボランティアの方々の献身的な活動には、かねがね敬意を払ってきましたが、どれほど善意に満ちた人道的な運動でも、時には当事者の意に反した役割を、思いもよらぬ形で、ひそかに負わせられる場合のあることをまず説明したいと思います。 わたしは昨年4月、東京で出版業をはじめて以来、しばしば名前を間違って呼ばれる場面に遭遇しています。明らかにわざと間違えていると思われるのですが、何度も「フクモトさん」と呼ばれました。拙著を2冊印刷した平河工業社の担当者からは何度も呼ばれています。名刺はもとより、著者であるわたしの名前は表紙をはじめ至るところに印字されています。見間違えなど起こりえない状況ですが、面と向かって「フクモトさん」と複数の担当者から呼ばれています。電話会社からも「フクモト」呼ばわりされ、免許更新と住所変更手続きに行った江東区の試験所でも、マイクで何度も「フクモトヨシコさん」と呼ばれています。試験場の用紙類の記名欄はとても広く、大きな字で「久本福子」と書き、下段に「ヒサモトヨシコ」とはっきりと記名しています。にもかかわらずの、間違いマイクです。版元ドットコムの会員時代には、ある幹事社から「福本久子」などという宛名でメールが届いたこともあります。 この執拗な「フクモト」呼ばわりには、もちろん深い理由が隠されています。わたしにとっては「フクモト」とは、聞くだにおぞましい人物の名前です。「フクモト」とは福岡にある出版社石風社の福元満冶ですが、柄谷に会う以前から、わたし及び葦書房を侵食、侵害しつづけてきた人物です。三原氏の葦書房社長就任にも関与しています。しかし彼は、ペシャワ-ルの会のサポート役を会の発足当初から務めています。西日本新聞に連載されていた、中村哲氏の活動レポートを出版したのが縁ですが、この本の出版と会との関わりは、彼の評価を高める結果になったのはいうまでもありません。世間の評価は、表の顔だけでなされる場合がほとんどだからです。 ボランティア的な社会活動はウラの陰湿な侵害者の顔を隠すと、わたしは柄谷に書き送っています。公正に判断してくれると期待した柄谷はむしろ浅田と二人三脚で、福元的手法を拡大。福元はいわば天性の意識せざる侵害者ですが、柄谷・浅田はその手法をきわめて意識的に模倣、追走しています。その一つの帰結がNAMですが、彼らの野望が国内だけではなく、海外にまで破壊的に拡がっていることを、同時テロではじめて知りました。彼らがこの中東の紛争を利用しようと思い立つに至ったきっかけは、間違いなく福岡のこのペシャワ-ルの会を知り、その人脈利用の可能性を察知したからにほかなりません。 下記の73に続く |
●Home 文化ファシズムと米同時テロ 2 73 10月17日 そもそも西日本銀行がなぜニューヨーク支店を開設したのか、大いなる疑問です。 上位2行に大きく引き離されていた一地方銀行が、アメリカのニューヨークに進出しても、活発に取引ができるなどとはとうてい思えません。福岡最大手の福銀ですら新宿支店を閉鎖し、東京は八重洲店一店にのみ縮小。地域内業務に専念すると表明していたのとは、まったく対照的な動きです。 いうまでもなく西銀のニューヨーク進出は、経営的な判断によるものではなく、文化ファシズム集団の動きを支援するものとしてなされたはずです。実際には唆されたというべきでしょうが、ニューヨークからの撤退準備をしていたのも、そうした流れの一つの帰結と見るべきでしょう。撤退準備さ中の同時テロでした。 福銀、福岡シティ銀行、西銀の上位3行の内、なぜ福銀、西銀だけが極端な形で役割分担させられているのかは不可解至極ですが、シティ銀行だけは大蔵官僚の天下りはなく、自前主義だということと関係がありそうです。東京転居以前(1999年10月)の知識ですが、シティ銀以外は、小さな銀行も含めてほとんど、大蔵官僚や通産官僚など官僚が天下っています。またシティ銀行は劇団四季と提携して専用劇場を作り、早くから他行とは異なった独自の文化戦略を展開していました。もちろん文化ファシズム下ではシティ銀も影響は免れてはいませんが、その独自性ゆえに、経営権までの影響は非常に少なかったのではないかと思われます。 全国地銀の中でも有数の優良行であった福銀からはどんどん資金を出させ、余裕のない西銀からはその世界的人脈を盾に、アジア各国から資金を吸収させるという役割分担をさせたわけです。その結果福銀はかつて経験したことのない巨額の不良債権を抱え込み、西銀はかつてないほどの資産を抱えることになったはずです。しかもいずれにも、地方交付税を含む巨額の税金が流れ込んでいます。文化ファシズム連は銀行を巧妙に動かしながら、巨額の資金を手に入れる方法を福岡で会得したのです。西銀のニューヨーク支店は、こうして不正入手した資金のプール、運用先として利用されていたのではないかと思われます。他にもTWCビルには地銀がいくつか入っていましたが、同様の背景があったのではないかと推測されます。 日本の銀行の不良債権は減るどころか増えつづけていますが、ここ5、6年の不良債権の大半は、文化ファシズム連の懐に入っているのではないかと疑っています。彼らの利権漁りの歯止めのなさは、官僚や政治家の比ではありません。彼らが蓄財した巨額の資金は日本の経済の動きを歪め、停滞させ、引いては世界経済にまで影響を与えるほどの額に達しているはずです。日本の地方銀行はそうした巨額の資産隠し、不正資金のプール先としてはスイスの銀行などよりはるかに安全です。 朝日新聞(9月12日)に掲載されていたTWCビル内の日本企業一覧を見ると、大手行とは違い、地銀のほとんどは従業員数不明。金融庁は把握していなかったというこですが、要するに届け出ていなかったということでしょう。西銀も同様ですが、朝日の調べた数が一覧には記載されています。こうした業態からも、これら地銀が半ばファシズム集団専属の金融機能を果たしていたであろうことが推測されますが、彼らは地銀だけを利用しているのではありません。 わたしは村上龍氏が編集長をしているメールマガジン「jmm」を愛読していましたが、同時テロをきっかけにマガジン全体の論調に、微妙な変化が生じています。数いる寄稿家の中でも特に目だったのが、東京三菱証券IR室長の三ッ谷誠氏です。詳細は省きますが、同時テロをテーマにした同氏の文章は、資本主義対反資本主義、市場主義=グローバル資本主義=アメリカという、稚拙かつ単純きわまりない図式にのっとったもので、とうてい金融のプロの書いたものとは思えぬ不自然さを感じました。 確かに、寄稿家は所属機関とはまったく無関係に、純粋に個人の資格で同誌に寄稿している旨明記されています。しかし「金融のプロに聞く」という大枠も同時に明示されています。そこで10月1日に、「jmm」編集部宛に、金融のプロの書いたものだとは思えぬ文章だとの、批判的疑問のメールを送っています。名前、住所、TEL,FAX、メールアドレスすべて明記して送信しています。ところがそれ以降、三ツ谷氏のみならず、同じ東京三菱証券のもう一人の寄稿家も同誌に寄稿していません。 わたしの批判にどう答えてくれるのか楽しみに待っていたのですが、その機会のないまま、意外なところで東京三菱証券の名前を目にしました。同証券がインドネシアに支店を開設するとのニュースを、「日経」で目撃。しかしその時はさほどのこととは思わずにやりすごしました。ところがそれから数日後の10月12日、今度は同証券の親会社ともいうべき東京三菱銀行が、ポーランドに子会社を設立するとのニュースが報じられました。支店開設ではなく、子会社設立です。しかもポーランドは最近実施された選挙で、旧共産党系が政権に復帰したばかり。一方東京三菱銀行は、創価学会とは非常に密接な関係にある銀行です。このニュースをきっかけに、同時テロと文化ファシズム集団との間には、密なる関ありとのわたしの確信は一気に強まりました。
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●Home 文化ファシズムと米同時テロ 1 72 10月15日 福岡との接点 わたしが同時テロと文化ファシズム集団との関連を疑うきっかけになったのは、倒壊した世界貿易センタービル内の日本企業一覧に西日本銀行の名前があったからです。西銀は、福岡銀行、福岡シティ銀行に次ぐ福岡の地場銀行の一つですが、3位に位置するとはいえ、上位2行との格差には相当大きなものがありました。 ところが、創価学会を頂点にいただく、文化ファシズムの威力が増すと同時に、西銀の勢いも増していきました。 全国的にも有名な歓楽街、中洲川端の一角に、福岡の新名所が誕生しました。博多座とアジア現代美術館です。 美術館は、現代アジア美術収集ではアジア一を誇っています。 博多座は、福岡銀行、福岡市、松竹が出資して設立された第3セクター方式で設立、運営されていますが、そこに隣接する高級ブランドファッションビルに西日本銀行が出店。さらに福岡市役所との結びつきも強め、毎年福岡で開かれるアジアマンスでは、幹事銀行として関連行事のお金の収支決済を一手に引き受けています。 いずれ詳しく書くつもりですが、福岡の老舗百貨店岩田屋との関係を見ても、彼らの銀行利用の仕方には、実に巧妙な戦略が張り巡らされています。 ではなぜ、西日本銀行の威力が突如増しはじめたのか。そのカギは、文化ファシズム集団がこの時すでに、アジアを拠点に世界制覇を目論んでいたからです。わたしも同時テロのニュ-スを見るまでは、そこまでは考えてもいませんでしたが、同時テロで爆破したTWCビルに西日本銀行の名前を見た瞬間、両者の結びつきを直感しました。 そしてこの直感は、日を追うごとに強い確信へと変わってきました。西銀が文化ファシズム集団に選ばれたのは、国連の緒方貞子氏の縁戚の方が西銀の重役になっていたからです。この情報も彼らはわたしから入手しています。 当時福岡では、文化ファシズム集団は新聞、テレビ、大学、法曹界、宗教界、医学界等、知の頂点をすべて制覇していたわけですから、彼らを犯罪者とは知らずに利用されたとしても無理からぬことでした。最大の被害者であるわたし自身、何年も餌食にされつづけてやっと気がついたくらいです。しかも彼らの人脈利用の手法は、何重ものバリアの蔭に下手人は姿を隠し、間接的に操作するという巧妙さです。ウラの事情を熟知した者以外には、利用されていると気つくのは不可能だろうと思われます。わたしも10年近く騙されつづけてやっとその手口に気づきましたが、手口が分かると、すべてが一気に見通せます。 彼らの人脈利用の手口を長々と説明したのは、利用されたと思われる方々の名誉を思ってのことですが、その結果生じた事態に対しては、無自覚でいることは許されません。彼らが西銀に目をつけたのは、緒方貞子氏を介して、いずれ国連関連の機関にも人脈を広げようとの狙いがあったからだと今にして思います。超ソフトな手法による、ファシズムの世界的ネットワーク化構想です。超ソフトであるだけに、そうと気づかぬ内にファシズムが世界を腐食していきます。ナチズム以上に危険な動きですが、このソフトファシズムの最大の特徴は、首謀者が姿を隠していることです。「ヒットラー」や「ムッソリー二」の名が特定されぬまま、目に見えぬ抑圧網が拡大していきます。米の同時テロとその手口は酷似しています。 とはいえここ数年の抑圧感の拡大深化は事実としては否定しがたく、「雰囲気」などという言葉で曖昧に表現されてきましたが、「雰囲気」を作り出している正体までは誰も暴こうとはしませんでした。唯一その正体を暴いたわたしの訴えは、今日まで無視されつづけてきました。単に無視されただけではなく、妨害、嫌がらせ、封殺等、出版行為そのものが脅かされつづけてきました。それもこれも、日本を代表する理論家、柄谷の存在が、警告を発すべきはずの知識人の目をもくらませた結果であることは、特に強調しておくべきでしょう。海外においても、コロンビア大学客員教授であり、日本を代表する批評家という柄谷の肩書きは、海外におけるすべての犯罪をフリーにする効果を発揮したはずです。柄谷の渉外係兼悪事の参謀役浅田も、日本を代表する大学、京都大学助教授という肩書きと日本を代表する「文化人」としての顔で、同様の役目を果たしてきています。 柄谷・浅田を頂点に、創価学会=池田大作、西武=堤清二の強力な支援を受けて構築された、世界的文化ファシズム体制がやがて同時テロを準備するに至るのですが、詳細は今後数回に分けて明らかにしていきたいと思います。ただ、西銀はテロの被害者であり、創価学会も創価学会インターナショナル(SGI)の経理部長が、搭乗者として爆死、共に被害者ではないかと思われるかもしれませんが、わたしはそれゆえに、文化ファシズム集団とテロ集団との結びつきを直感したのです。 わたしは今回の同時テロをめぐる告発には、さすがに少なからぬためらいを覚えました。その結果くるであろうリアクションを恐れたからです。しかし両者の結びつきは事実だという確信が日増しに強まるにつれ、沈黙をつづけることができなくなりました。あまりにも驚愕的な事実に、現実のこととしては理解されないかもしれません。事実だと確信しているわたし自身ですら、未だどこかで、あまりにも現実離れしているとの思いが拭えずにいるからです。しかし、それほど非現実的なおそるべき犯罪が、現実の出来事として今進行しつつあるのです。これから数回にわたって、できだけ分かりやすく、その事実をお伝えしていこうと思っています。 http://web.archive.org/web/20050617123125/page.freett.com/sokagakkai_komei/ www.editor-shop.co.jp/kaisetsu.html 日本専門情報機関 |
当ページ掲載の「文化ファッシズム」の著者は、私たちと同じ集団ストーカー被害者と思われます。
経済的に追い込まれているようです。100%善意で著者を側面から支援させて頂きます。
本の注文・・・→ 注文先その1 注文先その2 注文先その3
●Home 文化ファシズムと米同時テロ @橋本氏のキューバ訪問、
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http://hozon-senmon.fateback.com/www_editor-shop_co_jp/bunkafasizumutoustero.htm
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