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自己処理できない未熟者

6 名無しピーポ君2007/04/28() 17:33:45

いじめ(虐待、嫌がらせ)の原因はひとえに、いじめる側の「多様な(先天的障害を含む)個性を受け入れる包容力・寛容・忍耐力・思いやり・表現力・労り・想像力・慈愛」の欠如である


「いじめられる側にも原因が」という考えは、そう主張する人自身の「いじめたくなる原因」のすり替えであり、上述した己の欠陥から目を逸らすための口実・言い訳に過ぎない

「学校を何度変わってもいじめられるのは、いじめられる側に原因がある証拠」という理屈は通らない。何故なら「どの学校にも、異なる個性を認められず不平不満を上手く自己処理できない未熟者がいること」が本当の原因だからである

「多数派は正しい」という安直な誤謬を盲信して物事の本質・因果関係を見誤ってはならない「いじめは人格に問題がある者を矯正する手段」という理屈は、それこそ人格に問題がある者が多用する逃げ口上である

仮に何らかの欠点や落ち度があったとしても、その矯正法がいじめ(虐待、嫌がらせ)である必然性はない。寧ろいじめの目的は加害者側の一方的な快楽・ストレス解消であり、更正どころか却って社会憎悪・人間不信を増しかねない

「周囲を不快にさせるからいじめられて当然」も責任転嫁である。そもそも不快感の原因は「それを感じる個々人の持つ価値観・固定観念」であり、他人のせいにするのは筋違いである(いじめの報復も同様。下記リンク先参照)

従って、加害者をただ感情的に非難するだけに終わる人もまた「己の未熟さ」に気付かねばならない。安易な厳罰化や一時的な対処は、問題の陰湿化・冗長化を招くだけである

「どうせいじめは無くならない」と思う人は、名も無き人々の不断の努力によって人知れず解決している数多の実態を、まず知るべきである。大きく報道される事象だけが全てではない


また「いじめられる側を守ろう」とする行為は、被害者側の自尊心を傷つけ、実態の表面化を妨げる。被害者を助ける必要はない。真に救うべきは愛に飢えた加害者である

以上を読んでも尚「いじめられる側にも原因が」と正当化する人は、結局「自分自身の非(心の狭さ・貧しさ)を認めたくない」のである

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/police/1177164530/

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